嫌いな人っていますか?
いないってことはないですよね。
マザーテレサのような特別な聖人でもないかぎり、できれば顔を合わせたくないという人が、誰だって一人や二人くらいはいるはずです。
それどころか、同じ空気を吸いたくないくらい、徹底的に嫌いな人がいるという人だっているでしょう。
嫌いな人や苦手な人がいる場合に、人に相談するとよく言われる言葉で
「嫌いな人は、自分自身の映し鏡」
というのがあります。
その意味は、
相手に嫌だと感じる部分があなた自身の中にある
ということのようです。
中には、
「あなたにそのことを気づかせるために、あなたの前に現れたのよ」
なんて忠告する人もいます。
そう言われてすぐに、
「そうか、そう言われてみれば、確かにそうかもしれない。反省しなければ」
と思い当たる節がある場合もあれば、
「とんでもない、絶対にそんなはずない!」
と反発したくなる場合もあると思います。
嫌だと思っている相手に、日常的に悩まされ、心が弱っている状態の人が、そんなことを言われてよけいに苦しくなったという人もいます。
本当に、自分にとってそんな嫌な存在が「映し鏡」なのかどうかを、今日は一緒に考えてみたいと思います。
私的には「必ずしも映し鏡ではない」と思っています。
はっきり言って「映し鏡」じゃない場合の方が多いと思っています。
そうはいっても中には映し鏡な場合もある

「嫌いな人は、あなたの映し鏡説」でよく言われているのは、
自分の中の嫌な部分を相手に言動や行動に見ているんではないか、ということや、
自分がやりたくてもできないことを、やっている人を羨やむ気持ちがあるのではないか、ということです。
例えば、職場の後輩が、誰にでも明るくしゃべって、いつも場の中心になっている人を見て、
「異性に上手に取り入る人なんて嫌い」
「異性の前だと態度変わるんだから」
という気持ちを持つのは、気持ちのどこかで、
自分も気さくに異性と話して、話の中心にいたいと思っている、ということです。
確かに私だって、無意識にそんな感情を抱くことだってあるかもしれませんが、そんなケースばかりではないと思います。
どうもすべてに当てはまる法則ではなさそうです。
嫌いな人のいい所をみるべき説

「映し鏡説」でよく言われるのは、嫌いな人、苦手な人とうまく接することができない人に対して、
「その人のいい所を見つけるようにすればいい」
「悪い所ばかり見ないで、いい所に目を向けなさい」
なんてことを言う人がいます。
自己啓発本などでよく目にする言葉でもあります。
自己啓発本も、いい意味でやる気を奮い起こしてくれるものもあれば、読み手の心の状態によっては、まるで実行不可能だったり、自分が責められているように感じて逆効果だったりすることがあります。
すべてとは言いませんが、自己啓発本に多いのは、たまたまその人がうまく行ったことを広げて書いていたり、心理学を自分の説に都合のいい部分だけをつまみ上げて書いていたりするケースが多いように感じます。
そんな本を読んで、苦手だけど仕事上どうしてもそんな相手とかかわらないといけない場合など、なんとか努力しようと頑張ってみても、たいがい挫折してしまいます。
中には、視点を変えて見るようにしたら、嫌な気持ちが薄らいだということもあるかもしれませんし、
生理的に受けつけないとか、相手を偏見の目で見ていたことに気づいたなどであれば、自分自身が反省しなければならないと感じる場合もあるかもしれません。
しかし、そんなふうに努力しても、嫌いな気持ちがどんどん大きくなっていく場合があります。
相手にある程度「いい所」があるなら、そこまで嫌いにならないのではないか、と思います。
世の中には驚くほど嫌な奴だっている

「映し鏡説」は、そもそも性善説の上でこそ成り立つ説ではないかと思います。
しかし、現実世界では性善説では対応できないような事件のニュースが、毎日たくさん流れています。
平気であおり運転する人
SNSでヘイト発言をする人
特定人物を誹謗中傷して自殺まで追い込む人
窃盗、放火、傷害、殺人までする人が存在しています。
その人に対して嫌悪する感情も、映し鏡になるんでしょうか。
そんな特殊例じゃなくても、
日常生活で出会う人にも、考えられない行動を取る人だっています。
そんな人に、職場で出会うこともあれば、今まで普通に付き合っていた友人がそんなふうに変化する場合だってあります。
圧倒的に理不尽なことを言ってくる人
日常的にパワハラ発言をくり返す人
信じられないような差別発言をする人
マウントが取りたくてこちらの心を傷つけるようなことを平気で投げつける人
そんな人に一度も出会ったことがないという人は、おそらく存在しないのではないでしょうか。
私自身、かつて勤務した職場で、そんな人が何人もいるような環境で仕事をしていて、日々、消耗していました。
まあとてつもないパワハラ三昧の中で何年も過ごしていましたねえ。
メンタルは平気ではなくて、ちょっと病みそうになったこともあります。
メンタルを病んで自宅療養を続ける同僚も、一人や二人ではありませんでした。
そんな状況の中にいる人にも
「その存在も、あなた自身の映し鏡なのです」
なんて無責任な言葉を発することができるのか!と言いたくなりますね。
嫌いな人はより意識してしまう

「嫌い」「苦手」という感情にも、大小があったり、種類がいろいろあったりします。
自分自身の心の状態でも変化します。
なんとか我慢して平静を装って付き合える場合もあれば、
今までは割り切って対応できたのに、嫌だという感情が積もりに積もって、「もう限界だ!」という状態もあります。
嫌いな気持ちが強ければ強いほど、相手のことをより意識してしまいますからねえ。
平静を装おうとしても、感情がどこかに表れてしまい、向こうをさらに刺激して、悪いループにはまることになりがちです。
顔も見たくないという感情が、その人のいないときでも尾を引いて、いつまでも嫌なことを考えている時間が長くなります。
忘れようとしても、いつまでもその人の影がつきまとうようになります。
私もそんなことがあって、
休みの日も、気づくとその嫌な相手のこと、まあはっきり言うと上司でしたが、
その人のことを考えているんです。
あー明日はまたあいつになんか言われるのかあ、と思うと、まったく気が休まりませんでした。
こんな状態が続けば、誰だって抑うつ状態になり、メンタルを病んでしまいます。
相手を変えることはできないから自分を変える」説
「相手のいいところを見るようにしなさい」の次によく言われることは、 「相手を変えることはできないから自分を変えなさい」ということです。
確かに、誰だって基本自分が悪いとは思わないので、変わりたくなし、変わらされたくないはずです。
変えようという意図で発言などすれば、激怒させることになって逆効果になることはあっても、考え方を改めさせることなどできません。
それでも、状況によっては、あえて態度を変えてもらわないといけない場合もあるかもしれません。差別発言をくり返す人に、言わないようにしてもらうとか、パワハラ発言を止めてもらうなど、変化を求めるべきな場合もあるでしょう。
相手の心の中は変えることができなくても最低限、言動や態度は改めてもらうべき場合です。
相手が上司であれば、もっと上の立場の人に厳重に注意してもらえば、それが可能になる場合もあります。
そう考えると「相手を変えることはできない説」が万能ではないということが言えると思います。
次は、「自分の心を変える説」ですが、
変わる必要があるかどうか、変えることができる精神状態かどうか、ということにもよると思います。
相手の考え方、行動を受け入れがたいので、自分を変えるべきじゃないと判断するケースもあるはずです。
夫婦や親子関係と違い、こちらが自分を変えてまで対応すべき相手なのかどうかも問題ですが、悩まされている相手ですから、自分が変わることを拒否できないことが多いと思います。
しかし、自分の心が疲れて苦しい状態であれば、自分を無理に変えようとすることで、更に心を鞭打つことになってしまいます。
こんな場合は、「自分の心を変える」ことは避けるべきです。
自分の価値観や心の健康、人権は守る

「あの人をこんなに嫌うなんて、私は心の狭い人間なんだわ」
「人の悪い面しか見ることができない私は、ひどい人間なんだ」
そんなふうに自分を責めすぎないことが大切です。
まず自分の心の中の「嫌い」という感情を認めてあげてください。
心理学では、感情にいいも悪いもない、と言っています。
すべての感情は、理由があって生まれてきたわけですから、相手を嫌う自分の感情を責めないでください。
お釈迦様も、「縁なき衆生は度し難し」とおしゃってます。
あの慈悲深いお釈迦様でも、仏縁のない人は救えない、という意味だそうです。
あの釈迦様でもそうなんですから、凡人である私達が「嫌い」という感情をゼロにして、好きな人ばかりにすることなんてできなくて当然です。
心が苦しいときには「嫌い」「苦手」「合わない」という感情を持つことを責めないで、まず自分の心を癒やしてあげてください。
まとめ
「嫌いな人は自分の映し鏡」は、万能の法則ではなく、当てはまらない場合も多い。
嫌いな人のいい所を見つけようと無理をすると、自分が苦しくなる。
「相手は変えらないから自分を変える」説については、自分の心が弱っているときは変わろうとしなくていい。無理に変わる必要なんてない場合だってある。
心が苦しいときに相談した相手から、説教めいたことを言われたり、「相手は映し鏡」的なことを言われたら、聞き流す。
感情そのものにいいも悪いもない。
相手を嫌いだという感情を持つことで、自分を責めない。
嫌な人に心の中をかき乱されて、苦しくなったときには以上のことを思い出してください。