学校に行けない子供たちの話になると、「こんなに物に恵まれた時代に生まれて来て、何に不足があるんだ」と言う中高年の方がいます。
いじめ問題になると「俺たちの子ども時代にはガキ大将がいて、ちゃんと統率されていたからいじめはなかった」と言う方もいます。
ガキ大将を懐かしむのもいいのですが、現実はそんなノスタルジックな言葉でどうにかなるものではない時代になっています。
どんなに物に恵まれていても、どんなに豊かな自然に囲まれていても、人間関係での苦しみは生まれてきます。
情報過多社会になり、以前には感じなくてもよかった居心地の悪さを感じやすい時代になりました。
しかし、時代がどんなに変わっても変わらないものがあります。それは、人は認めてもらいたい生き物だということです。
子どもは、親はもちろんのこと、先生にも、同級生にも認めてもらいたいのです。子どもだけではなく、若者も高齢者も、そこに変わりはありません。家族に、友人に、同僚に、上司に、認めてもらいたいのです。
そこが満たされないから、コミュニケーションがうまくいかなくなり、周囲にたくさん人はいるのに、どうしようもなく孤独感を抱えてしまう人が多いのが現実です。もちろん、ほかにもいろいろ理由はあるでしょうが、それが大きな原因のひとつであることは間違いありません。
昨年は、高校生や中学生を前に話をする機会が何度かありました。
「もしかしたら、今とても悩んで苦しんでいる友だちがいる人が、この中にいるかもしれない。でも、君たちがその人のことを大切に思っているということを伝えてあげたら、苦しい心を救うことができたり、がんばるきっかけになったりするかもしれない。ですから、そんな友だちには伝えてください。君は一人じゃない、ということを」
そんなことを話しました。保護者対象の講演会では、まずは無条件に子どもさんを認めて愛してあげてください、というお話をします。
「いてくれてありがとう」という言葉でその思いを伝えてください、とお願いします。
その言葉は、かつて交通事故で尊い命をなくす子どもたちを見るたびに、全身を振り絞るような苦しい思いから、湧き上がった言葉でした。
たったひと言が心を強くしてくれたり、苦しみから救ってくれたりすることがあります。辛い時だけではなく、日常生活の中でその言葉を耳にしたり、口にしたりすることで、幸福感を味わうことができます。
そのことを多くの人に伝えると同時に、自分自身でもしっかりと実践していく一年にしたいと思います。
(新聞の月一コラムに掲載されたエッセイです)