「幸せ」はつかむものではなく、気づくもの

疲れ果ててベンチに座るサラリーマン

「幸せ」でインターネット検索すると、膨大な数のページがヒットします。幸福になるためのグッズ販売であったり、セミナー告知であったであったりと、その内容はさまざまです。

どんどん願いがかなう、幸せな成功者に必ずなれる、今のあなたの人生が変わる、そんなきらびやかな文言に、いささかも心乱れないほど達観できてはいない私ですが、どのページもクリックするには至りません。なぜかと言うと、本当の幸せのありかを何度も目の前に突きつけられてきた経験があるからです。

私が消防士だった頃、火災、災害、救急現場で、大切な存在を失い、その現実がどうしても受け止められなくてくて泣き叫ぶ家族を、何度も目にしてきました。
見ているこちらも胸が苦しくなるほどの半狂乱の姿に、こんなにまで愛してくれる存在こそが宝物ではないかと、そのたびに強く思いました。

私生活でも、そばにいて当たり前だと思って過ごしていた家族との日々が、病気という忌むべき存在の登場で、尊い時間であることに改めて気づかされこともあります。
そんな当たり前のことさえも、コミュニケーションの行き違いや、膨大な情報に刺激され、「もっともっと」という上昇志向で生きることの疲れで、見えなくなってしまう人が多いのが現代のようです。

それどころか、波風たたない平々凡々とした日常を送っていてさえ、自らが生きていることや、大切な存在がちゃんといてくれているという幸せさえ意識しなくなりがちです。

もう5年前になりますが、消防局退職後にメンタルヘルスの学校に通いました。そこで教わった心理学の内容と、消防士時代に現場で感じ、考えたこととが多くの点で共通していることに気づきました。

上昇志向とまでは言わないまでも、他人との比較は、自分自身を向上させるモチベーションとなることもあれば、どんなに頑張っても上には上がいるという現実を否定的に捉えて、自分自身を認められない苦しい心を作ることもあります。
自分でも気づかないそんな満たされない心が、自慢や他人への攻撃につながり、さらに自分自身を疲労させてしまうこともあります。

たとえ未熟であっても、まずは今の自分をそのまま認めることがとても重要であること。本当の幸せは、目の前にあるのだということ。そんなことを教わり続けてきたように思います。 不惑どころか、知命の歳をとっくに過ぎた私ですが、目の前の幸せを日々感じた上で、夢や目標を追い掛けたいと今も思っています。

(新聞の月一コラムに掲載されたエッセイです)

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