こんなに悲しいはずなのに、なぜ涙が流れないんだろう。
そんなことを思った経験はないでしょうか。
大人になると、悲しい出来事にぶつかっても、なかなか泣けません。
いっそ泣きたいと思っても、無意識のうちに感情を押し込めてしまう。
私は、かつて消防現場で長年活動していました。
何度も何度も、泣きたいほどの場面に立ち会いました。
また私生活でも、精神的に苦しい時期を過ごしました。
それでも泣けませんでした。
あの頃の自分に、今なら言えることがあります。
「泣いたっていいんだよ」 と。
「笑う」と「泣く」が心の傷を癒やす

人間には「喜怒哀楽」という4つの感情があります。
この中で、ストレスの解消に特に効果があるのは「笑うこと」と「泣くこと」だと言われています。
笑うことが体にいいというのは、よく知られるようになりました。
落語を聴いた後に免疫力が上がったという研究や、「笑いヨガ」のような健康法もあります。
では、泣くことはどうでしょう。
泣くことは、笑うこと以上に強いストレス解消効果があると言われています。
「えっ、泣くことのほうが?」と思われるかもしれません。
泣くという行為は、苦しさや悲しみから引き起こされるネガティブな行為だから、逆にストレスを溜めるんじゃないか、と思われるかもしれません。
でも、思い出してみてください。
つらくてつらくて、思いきり泣いた後、ふっと気持ちが軽くなった経験はありませんか。
あれは気のせいではなく、体の中で実際に起きている変化なのです。
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涙がストレスを洗い流す科学的な理由

涙には、大きく分けて3つの種類があります。
- 目を潤すための「基礎分泌の涙」
- 玉ねぎを切ったときなどに出る「反射の涙」
- 感情が動いたときに流れる「情動の涙」
この中で、ストレス解消に深く関わっているのが「情動の涙」、つまり感情によって流れる涙です。
アメリカの生化学者ウィリアム・フレイ博士の研究によると、感情による涙には、ストレスホルモンであるコルチゾールや、副腎皮質刺激ホルモン(ACTH)が含まれていることがわかりました。
つまり、泣くことで、体内に溜まったストレス物質が涙と一緒に外へ排出されるのです。
さらに、感情的に泣いた後は、副交感神経が優位になります。
副交感神経とは、体をリラックスさせる神経のことです。
泣いた後にスッキリするのは、体がリラックスモードに切り替わるからなのです。
泣くことを我慢し続けると、ストレス物質は体内に留まり続けます。
だからこそ、涙を流すことには意味があるのです。
救えなかった命への無力感

消防士として現場に出動し、必死に活動しても救えなかった命があります。
交通事故で大破し、積み重なった車両から人命救助をするとき、倒れてきそうな車両をワイヤーで引っ張り、文字どおり命がけで作業をしても、救えないときがありました。
現場到着時には、すでに即死状態であることもありました。
どうすることもできない状況であったとしても、現場で活動した隊員として、名状しがたい無力感に襲われます。
その無力感に、どう向き合っていいのかわからないまま、また次の現場へ向かいました。
「消防さん、お願いです。なんとかしてください! 助けてやってください!」
呼吸が停止してすでに数時間が経過した亡骸を指差して、泣きながら嘆願するご家族の姿は、目に焼きついてなかなか消えてくれませんでした。
愛する人と変わり果てた姿で対面した人の苦しみの声が、救急隊員である私たちの胸に突き刺さりました。
「お母さん、がんばって! がんばって! 返事してぇ!」
朝は普通に話をしていた母親が、もう二度と動かないのだという事実を、娘さんが受け入れるにはどれだけの時間が必要だったでしょう。
非番の日になっても、その光景はよみがえってきました。
未消化な感情が、いつまでも胸の中にとどまっていました。
職務を遂行しながら、ずっと息苦しさを感じていました。
思えば、そんな無力感をたくさん溜め込んでいました。
感情を否定した上司の言葉

阪神淡路大震災のあと、メンタルを壊した消防士が多かったため、消防庁からメンタルケアを指導する文書が全国の各消防局に送られてきました。
「惨事ストレス」 という言葉がクローズアップされはじめた頃のことです。
当時、私が勤務していた消防署でも、当直司令が署員を集めてメンタルヘルスについて話をしました。
その当直司令は、心身ともに強靭で消防戦術にも詳しい、いわばスーパーマンのような上司でした。
誰も逆らえないムードの中で、メンタルヘルスの指導要領に基づいてひととおり話した後、こう言ったのです。
「まぁ、どんな現場だろうと消防職員が惨事ストレスになること自体がおかしいことだ。そんな奴には消防職員としての資格がない」
その言葉に、頷く同僚たち。
しかし、私はその言葉に同意することができず、怒りがこみ上げてきました。
あんたがどれだけの現場を見てきたんだ。
苦しさを感じたり、悲惨さに心を痛めることさえないというその感受性こそ問題だろうが。
いろんな言葉が頭の中をぐるぐると回りました。
しかし階級制度の中で動いている社会であり、特にカリスマ性を振りかざすその上司に面と向かって異を唱えるわけにはいきませんでした。
惨事ストレスを起こしやすい状況として、次のようなことが挙げられています。
- 悲惨な遺体を扱う(損傷の激しい遺体、自殺者)
- 子どもの遺体を扱う(特に自分の子どもと同じ年齢の場合)
- 被害者が肉親や知り合いである
- 活動中にケガをする、同僚が負傷・殉職する
そんな過酷な状況の中で活動を続け、心を壊してしまった消防士や消防団員、警察官、自衛官たち。
あの上司の言葉は、彼らの苦しみを否定したのだと思いました。
「惨事ストレス」という概念は、現在ではさらに広くとらえられるようになっています。
大惨事の体験者だけでなく、日常生活の中で交通事故現場を目撃して心が苦しくなる場合も含まれます。
何度もくり返し放送される悲惨な事件や事故のニュースを、ただ見ているだけでも、しだいに心が重くなることがあります。
悲しかったり、苦しかったりした過去を思い出して、苦しくなることだってあります。
そんなときに、泣くことも、苦しみを感じることも「弱さ」ではありません。
それは、人として当然の反応です。
大人だって泣いていいんだ

大人になると、なかなか泣けません。
悲しい出来事にぶつかって、いっそ泣きたいと思っても涙はなかなか流れません。
無意識に感情を抑え込んでいたのか、当時はよけいに泣けませんでした。
消防局を早期退職した後、当時のことを思い出すと、あることに気づきました。
「そうか、あのとき自分は、本当は泣きたかったんだ」
「誰かに胸の内を聞いてもらいたかったんだ」
自分の感情を認めてあげること。
大人になると、常識や「こうあるべきだ」という思い込みに縛られて、それがなかなかできなくなります。
人生の目標設定、願望実現、前を見ること、上を見ること。
そういったことは意識しても、自分の感情を振り返ってみることは、なかなかないかもしれません。
でも、自分の感情を自分が認めてあげないと、苦しさや虚しさや悲しみは、いつまでも胸の奥に残り続けます。
先ほど触れたように、泣くことには科学的な裏付けがあります。
涙と一緒にストレス物質が体の外に出ていき、泣いた後には体がリラックスモードに切り替わる。
笑うことも、泣くことも、どちらも私たちの心と体を守るために備わった大切な機能です。
日常の中で「泣く力」を取り戻す

涙活(るいかつ)という言葉があります。
意識的に泣ける時間を作ることで、日常のストレスを解消しようという取り組みです。
日頃から感情を表に出す習慣がないと、泣く力そのものが錆びついてしまいます。
ちょうど、長い間使っていない蛇口が固くなるように。
そんなときは、泣ける映画や音楽の力を借りてみてください。
他者の物語をきっかけに、自分の中に溜まっていた感情がふっと動き出すことがあります。
大切なのは、 「泣くために泣く」のではなく、感情が動くことを自分に許してあげることです。
一人の部屋で、照明を少し落として、好きな音楽を聴きながら。
そんな時間を、月に一度でも作ってみる。
それだけで、心の蛇口は少しずつ動くようになっていきます。
かつての私は、固くなりすぎてまったく開かない蛇口のようでした。
ところが、今では映画を見ては涙を流し、子どもが登場するドラマではティッシュ片手に嗚咽するようになりました。
おじいちゃんになったから、ということもありますが。
深い苦しみの中で泣けないあなたへ

ただ、ここまで書いてきたことは、あくまで日常のストレス解消の話です。
もしあなたが今、耐えきれないような苦しみや悲しみの中にいるなら、話は別です。
本当につらいとき、人は泣けなくなることがあります。
涙が出ないほど心が固まってしまうことがあるのです。
かつての私がそうでした。
そんなときに「泣いたほうがいいよ」と言われても、泣けるものではありません。
映画を観ても、音楽を聴いても、心が動かない。
もしそんな状態にあるなら、まずは信頼できる誰かに、話を聴いてもらうことから始めてみてください。
順序立てて上手に話す必要はありません。
また、具体的なことまではどうしても話せない場合には、
「つらい」「苦しい」、それだけでいいのです。
言葉にした瞬間、止まっていた感情が動き出すことがあります。
もし周りに話せる人がいなければ、専門の相談窓口もあります。
一人で抱え込まないでください。
喜怒哀楽の中で、笑いと涙は、私たちの心と体を守るために備わった大切な力です。
日常の小さなストレスには、涙活のように気軽に泣ける時間を。
深い苦しみの中にいるときには、誰かの手を借りることを。
どちらも、弱さではありません。
自分の心を大切にするための、勇気ある行動です。
もしあなたが今、なかなか泣けないでいるなら。
「大人だって泣いていいんだよ」
そう、自分にそっとつぶやいてみてください。
悲しいときにはとことん泣けばいい。
心が前を向くのを待って、ゆっくりと進んでいけばいい。
あなたのペースで、大丈夫です。
「泣くこと」「笑うこと」以外にもストレス解消法があります。
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