消防局を早期退職して、もうすぐ三年になります。
退職辞令を受けた後に、在職者一同から花束をもらいました。
それを母にあげようと思い、実家に行きました。その花束を渡すことをきっかけにして、母に「生んでくれてありがとう」という感謝の言葉を伝えようと思ったのです。
以前から伝えたいと思いながら、五十を過ぎた男が母親に「生んでくれてありがとう」と言葉にすることは気恥ずかしく、なかなか実行に移せずにいました。感謝の言葉に加えて、脱サラした後の生活も心配ないから、ということを伝えようと思いました。
しかし、いざ母を目の前にすると、なかなか言い出せませんでした。二人きりになった瞬間に、思い切って言いました。おそらく恥ずかしさで赤面していたに違いありません。
「生んでくれてありがとう。育ててくれてありがとう」
何十年間もの思いを凝縮したつもりで伝えました。しかし、人生、何事にも計算違いはあるもので、言い終った瞬間に母から返ってきた言葉は、
「えっ、何? 耳が悪ぅて聞こえんだがな」
愕然としつつも気を取り直して、今度はさらに大きな声で言いました。予想に反して、母は感動の涙を見せることもありませんでした。拍子抜けしたものの、それでも感謝を伝えられたという安堵感がありました。
その数ヶ月後に、今度は父に感謝を伝えようと思いました。
私は子供の頃から、説教が多く、母に対してつらくあたっていた父を、ずっと嫌っていました。中学、高校の頃にはほとんど口をきかない関係になっていました。それでも、私自身が父親になってみて、愛情表現の下手な父の気持ちも分るようになりました。
決心したものの、父親に伝えるのは、母の時とは比較にならないほどの気恥ずかしさでした。父と二人きりになれなかったので、母が横にいたまま、意を決して切り出しました。
「子供の時は反抗ばかりしたけど、感謝してる。育ててくれてありがとう」
とようやく言い終ると、やはりここでも計算違いがありました。
「何ぃ? 何だってぇ?」
と母以上に耳の遠かった父が聞き返してきました。やむなく、さらに大きな声でくり返すと、まだ言い終わらないタイミングで母が、
「何を言っとるだいや。このお父ちゃんのおかげで、私がどれだけ苦労して来たか。何回も東郷池に身を投げようかと思ったわ」
私の言葉に感動する父を予想していたのに、その時の父は、無言のままこけしのように動かぬ表情で遠い一点を見つめていました。
(新聞の月一コラムに掲載されたエッセイです)