子供を持つ親ならば、子育てに悩むのは当たり前で、当たり前だと分かっていながら、悩みます。

どの道が正解なのか分からない場面が多々あるからです。

正解というものがもしあると仮定すればの話ですが。

まれに、今思えばあの時、ちゃんと意思を伝えられて、子供も理解してくれた、と我ながら感心することもあります。

それとて、その時点では懊悩煩悶し、やっと出した答えであったりします。親の考え方、子供の個性、環境もそれぞれで、100パーセント正解なんて、誰にも分かりません。

私の妻も、子供が高校生の頃、短気を起こして壁をぶん殴り、穴を開けるたびに、「小さい時に私がイライラして、よく怒ったせいじゃないかしら。私の育て方が間違っていたかも」と不安げにこぼしていました。

そのたびに私は言いました。「『間違い』なんてない。初めての子育てで、一生懸命やったじゃないか。
それに間違えたというほど悪い子に育っていない。
優しいし、成績だって僕の子供の頃に比べたら神童みたいなもんだぞ」と。

安息の地である母親の胎内からこの世に生まれ出ること自体が、胎児にとってはストレスだと言います。

ストレスひとつなく育つ子供なんていない、というこの事実は、実は素晴らしいことではないか、と子供が成人してからは思えるようになりました。

学校に行くのも、部活をやるのも、初恋の相手に告白するのも、結婚するのも、ある意味すべてがストレスなのかもしれません。

人間はストレスがないと生きていけないのも、また周知の事実です。

親が子供のことを思って一生懸命考えた答は、「正解」ではないけど「間違い」ではないのではないでしょうか。

もし、抜け落ちたところがあったとしても、やがて子供本人が克服していくことで大人へと成長する糧にしてくれるのではないでしょうか。

社会人になった息子が帰省して、壁のブラックホールを覆うポスターを見て「お父さん、よく耐えたよなぁ」と苦笑しました。

当時親として悩んでいた事柄を肴に親子で飲みながら語ることは、今の私の最高の幸せの一つです。

悩み多き思春期を過ごす子供達は、それが「反抗期」だなんて気づくこともなく、モヤモヤしたりイライラしながら、ただ「今」を過ごしています。親にしても、よく「子育てで親が学ぶ」という言葉も聞きますが、子育て最中にはそんな悠長なことを言う余裕はありません。

子供と奮闘する親は、実はそれが親の成長期であったとは、トンネルを抜け出さねば気づかないことなのかもしれません。

(日本海新聞「潮流」2014年3月9日掲載)