「もう遅すぎる」
50代になって、新しいことを始めようとしたとき、そんな声が頭の中に響いたことはありませんか?
定年まであと10年。
住宅ローンも残っている。
子どもの教育費もまだかかる。
本当はやりたいことがある。 でも、今から挑戦するのは無謀じゃないか。
そう思って、諦めかけていませんか?
私も、まったく同じでした。
50歳の半ばで消防士を辞め、講演家になるなんて——。
周りからは「いくらなんでも、その歳では遅すぎる」と言われました。
でも、ある出来事が、私の背中を押してくれたんです。
やりたいことがあるのに、踏み出せなかった

消防士として働きながら、いつも心のどこかで思っていました。
消防の仕事は過酷な場面もたくさんありましたが、やりがいもありました。
私は優秀な消防士といえるような存在ではありませんでしたが、消防という仕事にリスペクトは常に持っていました。
それでも、どうしてもこの思いは消せませんでした。
本当にやりたいことは、これじゃない。
救急現場で目の当たりにする、突然の事故。 救助現場で見る、ショッキングな光景。
「少し前まで普通の日常を送っていた人が、こんなことになるなんて」
そう思うたびに、自分の人生について考えました。
人生は、いつ終わるか分からない。
やりたいことを、いつまで先延ばしにするんだ?
数分前までは呼吸をしていた人を、CPRしながら病院に搬送したあとに考えました。
何度もそんなことを考えたのですが、現場活動が終わり、日常生活に戻るとしだいにそんな思いも薄らいでいきました。
そんなことをくり返しながら、気づいたら50歳になっていました。
でも、現実は厳しい。
都会で学生生活を送る子どもたちへの送金、ローンの返済、私たち夫婦の生活費。
そして、何より——
「50代から新しいことを始めて、本当にうまくいくのか?」
そんな不安が、いつも私を引き留めていました。
生活費や住宅ローン、教育ローンの返済を、ずっと実行できないことへの言い訳にしてきたことに気づきました。
このままでいいのかという気持ちと、先が見えない冒険をするより、もう定年まで10年だからこのまま安泰に過ごせばいいじゃないか、という逆の気持ちもありました。
「退職したら、パチンコを思いっきりやるんだ」

そんな私だったんですが、自分に言い訳できない出来事が起きました。
それは、職場の先輩の死でした。
ある日、数カ月後に定年退職の日を迎える先輩に聞いてみました。
「◯◯さん、退職後は何をして過ごすんですか?」
「退職したら朝から晩まで自分の好きな事をやるなぁ。まずパチンコを思いっきりやるわ」
満面の笑顔でそう言っていた。
非番の日も非常招集がよくあるので、ずっと束縛されている感覚がある職業でした。
そんな中で、先輩は実家の農業も手伝っていました。
やっと何の心配もなくパチンコ三昧の生活ができると、ほがらかに笑った顔を今も覚えています。
その先輩が体調を崩し、医師の診察を受けると癌が見つかりました。
半年前には人間ドックも受けていたので、まさかという気持ちだったようです。
本人の意思もあり、しばらくは仕事を続けながら通院。
その間にもしだいに痩せて、だんだん無口になっていきました。
定年退職の日は、病院のベッドの上で、消防局長から退職辞令を渡されたそうです。
その数カ月後に他界。
24時間勤務なので、一般的な会社員の先輩後輩の関係とは異なり、文字通り寝食を共にした仲でした。
現場では、危険な状況下で協力しながら活動しました。
休憩時間には雑談で爆笑し、非番の日はよく飲んだものです。
人生の意味を問い直す

先輩の訃報を聞いたとき、頭の中で先輩の声が聞こえた気がしました。
「石川君、本当に今のままで後悔しないのか?」
「人間はいつ死ぬかなんて分からないぞ。やりたい事をやれよ」
それは自分が勝手に作り上げた空耳かもしれませんが、妙にリアリティーのある声がいつまでも耳に残っていました。
本当にやりたいことを1ミリもやらずに死んで後悔しないのか?
自問する日が続きました。
仮眠室で横になっていると、何度もその声が頭の中に響きました。
それでも、すぐには決断できなかった

先輩の死をきっかけに、私は動き出そうと思いました。
でも、すぐに早期退職願を出したわけではありません。
「本当に大丈夫なのか?」
「家族を路頭に迷わせるんじゃないか?」
そんな不安が、何度も私を襲いました。
躊躇したり、今すぐに辞めたいと思い詰めたり、脱サラ前を行ったり来たりを何年も繰り返しました。
よくサラリーマンが居酒屋で、酔っ払うと職場への愚痴の末「脱サラ・起業」を口にして、ストレス解消して、翌日はスッキリした気持ちで職場へ向かう——
そんなふうにはなれなかった。
ずっと胸中に重たいものが積もり、年々その重さを増してきて、耐えきれなくなりました。
だから、私は少しずつ準備を始めました。
在職中にできる範囲で始めた

地方公務員という立場上、あからさまに報酬を得て人前で歌ったり話したりはやりにくかった。
でも、できる範囲で人前に立つ機会を持とうと思いました。
県が主催した「スポレク鳥取2006」「鳥取県民の日」「食のみやこ鳥取県フェスタ」などに出演させていただきました。
自治体主催の講演会「生涯学習男女共同参画講演会」「楽しく学ぶ人権講座」などにも講師として登壇させていただきました。
その活動をブログ記事にしたり、当時はFacebookなどに投稿していました。
それらをきっかけに、講演依頼が少しずつ入るようになりました。
いわば少しずつ脱サラへ向かって助走を始めていたのです。
家族に想いを伝えた

在職中に講演やイベント出演の件数を増やし、メディアで紹介される機会も増えてきました。
そして、妻に相談しました。
「このまま職場にいたら、自分は壊れてしまいそうだ」
「大事な人生を、思いっきり生きたい」
「社会人になる息子たちに、自分が生きがいを持って生きている姿を見せたい」
妻は、
「いつかそう言い出すと思ってた。あなたがやりたいなら、応援するよ」
そう言ってくれました。
その言葉が、私の背中を押してくれました。
妻も、講演依頼やイベント出演依頼の電話がかかってきたり、出演依頼の文書が届いたりしていたことで、夫が少しずつ認知されてきていると思ってくれていたようです。
「退職して全力を注げば、きっとうまくいく」
数年かかりましたが、ようやく退職願を提出する決心がつきました。
思い通りにはいかなかった日々

それから早期退職願を提出し、ようやく講演家の道を歩み始めました。
でも、理想通りにはいきませんでした。
講演の依頼が思ったほど来ない。
消防職員時代の収入には、まるで届きませんでした。
「これで本当に生活していけるのか?」
何度も不安になりました。
失敗から学んだこと

最初は、講演で自分の学んだことを中心に話していました。
でも、それではうまくいかない。
参加者が求めていたのは、私自身の生の体験、生の声だったことに気づくまで、模索し、悩む期間がありました。
専業の講演家など存在しない土地で、本当に講演家なんて職業自体が成立できるんだろうか。
どうやれば自分のやっている講演の内容を、広く知ってもらうことができるんだろうか。
わからないことだらけの中、暗いトンネルの中を手探りに歩いているようなものでした。
それでも、続けられたのは——
「やりたいことをやっている」という実感があったからです。
困難はありました。
でも、それは「やりたくないこと」での困難ではなく、「やりたいこと」をやる上での困難でした。
その違いは、大きかった。
なかなか思い通りに進まないことも多く、トラブルも経験しました。
それでも、やりたいことをやる上での困難なので、克服しながら続けることができました。
今もたくさんの人に出会い、生きがいが感じられる生活を送っています。
早期退職してよかったこと

困難もありましたが、早期退職したからこそ得られたものもありました。
自治体の講演担当者から、こう言っていただくこともよくありました。
「安定した公務員を早期退職するなんて、その情熱はすごいですね。私なんかとてもマネできませんよ」
そう言って、私の本気度を評価してくださるのです。
確かに、安定を捨てて新しい道を選んだことは、私の想いの強さを証明することになりました。
その覚悟が、講演依頼をいただくきっかけの一つになったのかもしれません。
定年のない人生という選択
60歳を過ぎて、同僚や後輩が次々と定年退職を迎えました。
現在の定年年齢は62歳。
家が農業をやっている人は農業に専念したり、農地を借りて新たに始める人もいます。
あらたな仕事に就く人も中にはいます。
ゆっくりと余生を過ごすのも、趣味に没頭するのも、その人それぞれの生き方です。
そこに優劣などないでしょう。
ただ、現実は——
「これからの人生、どうやって生きていこうか」
そう途方に暮れている人が少なくありません。
私は、早期退職して講演家になったことで、定年のない人生を手に入れました。
今生きているという実感。
社会とつながっているという実感。
だれかのために貢献できているという実感。
そして、定年もなく収入が得られること。
決して、私が講演家として高額納税者になったわけではありませんが、「地道にコツコツ」という自分らしい生き方ができています。
それは、大げさに聞こえるかもしれませんが、「生きがい」だと思っています。
もちろん、定年まで勤め上げた人が生きがいを失うわけではありません。
人それぞれの「生きがい」があるでしょう。
でも、早期退職して自分のやりたいことを仕事にしたことで、私は年齢に関係なく、生きがいを持ち続けることができています。
そんな日々を送れることに、
「◯◯さん、ありがとうございます。おかげでやっと本気で生きているって実感が持てましたよ!」
心の中で先輩に感謝を伝えました。
50代からでも、人生は変えられる

このブログ記事は、単に脱サラを勧めるために書いたものではありません。
定年まで勤め上げることも、途中で脱サラすることも、どちらも意義あることだと思います。
大切なのは——
自分の心に正直に生きることです。
もしあなたが今、こんな気持ちを抱えているなら。
・本当はやりたいことがあるのに、諦めている
・「もう遅い」と思って、一歩を踏み出せない
・このままでいいのか、モヤモヤしている
どうか、自分の心の声に耳を傾けてください。
「もう遅い」なんてことは、ありません。
人生は、何歳からでも変えられます。
まずは1ミリだけ、やりたいことに近づいてみる
ただし、いきなり大きく変える必要はありません。
まずは、1ミリだけ、やりたいことに近づいてみてください。
例えば——
・やりたいことについて、情報を集めてみる
・小さな一歩として、できる範囲で始めてみる
・信頼できる人に、自分の思いを話してみる
・将来の計画を、紙に書き出してみる
・活動内容をSNSやブログで発信してみる
・地元の商工会に起業相談をする
小さな一歩が、大きな変化につながります。
私も、最初は「本当に大丈夫かな?」と不安でした。
でも、一歩ずつ進んでいくうちに、道が見えてきました。
踏み出さないと道は見えてきません。
あなたは一人じゃない
私自身が、早期退職をすんなりと決めたわけではありません。
何年も迷い、悩み、行ったり来たりを繰り返しました。
人それぞれ、家族構成も違えば、経済状況も、職場環境も違います。
家族の理解を得て、最終的には自分自身で決断しなければなりません。
でも、一人で抱え込まず、信頼できる誰かに話してみてください。
あなたにも、きっとできます。
先輩が教えてくれた言葉を、もう一度お伝えします。
「人間はいつ死ぬかなんて分からないぞ。やりたい事をやれよ」
たとえ何年先でも、何歳になっても、お互いに本当にやりたい事をやりましょう。
人生は一度きり。
後悔のない人生を、一緒に歩んでいきましょう。
まずは1ミリ、やりたいことを始めてみましょう。
追伸:
「書くことがない」「反応がない」「続かない」
SNSやブログで、そんな悩みを抱えていませんか?
私も同じでした。
でも、視点を変え、伝え方を変えることで、無反応だったSNS投稿がリール動画73万回再生を記録し、ブログ記事から講演依頼が大幅に増加しました。
あなたの「平凡な日常」が、尽きることのないコンテンツの宝庫に変わります。
Udemy講座では、自分の体験を価値あるストーリーに変え、読者の心を動かす方法を、ワーク形式で実践的にお伝えしています。
よかったら、のぞいてみてください。





