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幸福感

笑顔マークの書かれた紙片をかざしている

自己肯定感を確実に上げる方法5選

何かと忙しい毎日、多忙がゆえに心身をすり減らして、自己肯定感が低くて生きづらさを感じている方が増えています。

自己肯定感が低いと、何をしても上手くいかないと感じたり、他人と自分を比較してしまったりして、生きづらさを感じてしまいます。

私が消防士時代には、生きづらさが強くなり、自損行為に至った現場に何度も出動しました。
自己肯定感の重要性を思い知らされた現場でした。

しかし、自己肯定感はある事を意識して、トレーニングすることで高めることができます。

それでは、自己肯定感を確実に上げるための5つの方法をご紹介します。

1.小さな成功体験を積み重ねる

ランニングしている男性

誰でも過去には、成功体験があるはずです。
「私には成功体験などと呼べるような成果を得られたことはありません」
と自身の経験を過小評価している方もいらっしゃるかもしれません。

しかし、大小にかかわらず誰にでも必ず成功体験はあります。

そもそも、成功の大小も、本人の主観であったり、周囲の人の評価も主観であったりします。

過去に成功体験があったという方でも、忙しい毎日を過ごしていれば思い出す機会も、だんだんなくなります。

過去の成功体験を思い出すことは、現在の自己肯定感を高める大変有効な手段です。
成功体験が遠く感じるとき、その記憶を引き出してみることで、自分自身に「できる」という確信が湧き上がります。

これが新たな挑戦へのエネルギーとなり、自分に自信を持つための基盤を築くことができます。

まず、過去の成功体験をリストアップしてください。 どんな小さな事でもいいですから、過去に自分が何に成功したかを短いリストにしてみてください。

リストアップしたら、一つ一つの項目について、当時の具体的な状況や感じた喜び、達成感を思い出してください。

心身が疲れていると、自分自身の成功体験さえもつまらないものに見えてきがちです。 そんな時こそ、過去の喜びを思い出してください。

過去だけではなく、これから更に成功体験を積み重ねて行きましょう。

小さな成功体験の積み重ね方

元気がない時は小さく始める

元気がないときは、大きな目標設定が難しいものです。そんなときは、ごく小さな目標から始めてみてください。
例えば、「今朝は少しだけ早起きしてベッドから出る」「こちらから挨拶をしていく」といった小さな目標でも、成功体験としては十分です。

過去の成功を現在に活かす

以前成功したことと同じか、それに近い何かを今、試してみるのもよいでしょう。
それが新しい成功体験につながる可能性があります。

達成したら自己評価をする

成功体験を積み重ねる過程で、達成したことに対して自分自身を褒めることが重要です。
自分で自分を評価することで、自己肯定感が高まります。

何か新しいことに挑戦する時、最初から大きな成功を期待すると、プレッシャーで失敗してしまうことが多いです。 日頃から小さな成功を積み重ねることが大切です。

たとえば、ダイエットを始める場合、最初から毎日1時間のジョギングをすると決めるよりも、最初は10分から始めてみましょう。その10分が続けられたら、次は15分、20分と少しずつ時間を伸ばしていくのです。

過去の成功体験を思い出して「自分にはできる」という自信を取り戻し、新たな一歩を踏み出しましょう。それが小さな成功体験となり、次第に大きな成功へと繋がっていきます。

2. 周囲に感謝する

感謝カードと花

人は感謝することで、幸福感のスコアが上昇することが、ポジティブ心理学において証明されています。

感謝の感情を持つことで、ストレスの軽減、心の安定、そして自己肯定感の向上が確認されています。

私自身、消防士時代に活動してきた救急現場、火災・災害・救助現場での体験がきっかけで、平凡な日常がどんなに尊いものか、身近にいる人達が元気に目の前に存在してくれることがどんなに有り難いことなのかに気づき、どんどん感謝を表す機会をどんどん増やしました。

毎日の生活で当たり前に感じていることに目を向けてみましょう。

目を覚ますと新しい一日が始まっている
家族や友達が健康でいる
エアコンや暖房がちゃんと効いている
スーパーやコンビニで必要な物が手に入る
これらは些細なことかもしれませんが、感謝できるポイントは意外と身の回りに溢れています。

そして、その感謝を形にすることで、自分自身だけでなく、周囲の人々にも幸福感を広げることができます。
一言「ありがとう」と言うだけで、その感謝の気持ちが相手に伝わり、その結果として相手もまた感謝の念を持ってくれます。

感謝は心を温かくし、人と人との繋がりを深め、生きづらさを少しでも緩和し、日々を豊かにするための素晴らしいツールでもあります。

だからこそ、感謝の力を信じて、今日からでもその一歩を踏み出してみてください。きっと、その行動があなたの心に新たな光をもたらしてくれるでしょう。

3. 他人と比較せず自分の成長を喜ぶ

メモを書いている男性の手元

比較は自己肯定感の最大の敵です。他人と比較するのではなく、自分がどれだけ成長したかを考えましょう。

他人と比較するというのは、現代社会では避けられないことのように思えます。

SNSで多くの人がキラキラな画像を競って投稿しています。

仕事でのプレッシャー、人間関係の悩み…その全てが、他人と自分を比較し、評価する習慣を作ってしまいます。
日々他人と自分とを比較することで心を痛め、自己肯定感を低下させています。

しかし、よく考えていただきたいのは、他人の成功や達成は、あなた自身の価値には全く関係がないということです。

他人がどれだけ成功していようと、それはあなたの人生にとって大きな問題ではありません。

自分より成功していると羨んでいる相手がいて、頑張って同じ地位にたどり着いたとしても、さらに上の地位の人が存在します。
他人と比較する習慣から抜け出せないと、一生他人を羨み、自己肯定感を満たすことはできません。

あなたが他人と比較して落ち込むことは、結局、自分自身を傷つけるだけです。

他人と比較する習慣から脱するためには、自分自身の成長と進歩に焦点を当てることが重要です。

小さくても何か新しいスキルを身につけたら、それを喜びましょう。
自分が前よりも成長していると感じた瞬間は、自分自身を褒めてあげましょう。
たとえ小さな成果であっても、それはあなたが確実に前に進んでいる証拠なのです。

自分の成長を喜ぶためには、自分自身で定めた目標に向かって進むことが大切です。
その目標は大きくても小さくても問題ありません。
大事なのは、その目標があなた自身が設定したものであることです。

他人との比較から解放され、自分自身の成長を喜ぶための習慣を作りましょう。
例えば、一日の終わりにその日自分が成し遂げた小さな成果を日記につけるといった習慣です。
自分自身の成長を毎日確認し、その過程を楽しむことができます。

あなたの人生はあなた自身のものです。
あなたが他の誰かになることではなく、あなたらしくいることに価値があります。
あなたはそのままで素晴らしいのですから。

4. 完璧を目指さず自分の全てを認める

階段を上がる男性のイラスト

完璧を目指すあまり、自分を過度に低く評価してしまうことは避けましょう。
自分の長所だけでなく、短所も認めることが大切です。

「完璧を目指す」 という言葉は一見ポジティブに聞こえるかもしれませんが、実際には多くのストレスや不安を引き起こします。
何もかもが完璧でなければいけないと思うことで、自分自身を過度に低く評価したり、他人の評価を気にしすぎたりする習慣ができてしまいます。

そもそも、「完璧」など存在しません。
完璧というのは、人それぞれの価値観や状況によって変わるものです。そう考えると、完璧なんて神様以外にありえません。

だからこそ、100点満点が取れないと自分自身を厳しく評価しないで、6割7割できたら成功くらいに考えましょう。

たとえあなたが何かに失敗したとしても、それはあなた自身の「全体」を否定するものではありません。
それはあくまでその瞬間、その局面での出来事であり、次に生かせる貴重な経験です。
失敗も、挑戦も、全てはあなた自身を形成する一部です。あなた自身の存在そのものを揺るがせることは絶対ありません。

具体的に「自分自身を認める」ためにはどうしたら良いでしょうか

自分自身の長所を認識する。

誰もが何かしら得意なことや、好きなことがあります。
その長所を認識し、それを活かすことで、自分自身に自信をつけることができます。

自分の限界を受け入れる

どんなに頑張っても達成できないこともあります。
そのような時は、無理にそれを達成しようとするのではなく、その限界を受け入れる勇気も必要です。

自分自身を許す

過去の失敗や後悔、それら全てもあなた自身の一部です。
それらを許すことで、新しい自分に向かって進むことができます。

小さな成功を祝う

大きな成功を求めるあまり、小さな成功を見過ごしてしまうことがよくあります。
しかし、その小さな成功が積み重なって大きな成功につながります。

5. 自分のネガティブな感情を認める

いろんな表情が描かれた玉子

感情は無視することで大きくなってしまいます。
嫌な感情も、それが自分の一部であると認め、その上でどう対処するか考えましょう。

怒りや悲しみ、不安など、負の感情も抱えることは人間らしいことです。
そもそも感情が生まれるには必ず理由があります。
感情そのものにいいも悪いもありません。 その感情を認めた上で、その原因や解決策を考えることが重要です。

多くの人が、ネガティブな感情は「悪」であり、すぐにポジティブな気持ちに切り替えるべきだという誤った考えを持っています。

しかし、実はネガティブな感情にもその存在する意味があります。
それを全て排除しようとすることが、逆にストレスや苦しみを引き起こす場合も少なくありません。

まず第一に、ネガティブな感情を認めることが必要です。

「自分は今悲しい気持ちでいるんだな」 「不安を感じているんだな」 と、感情をそのまま認めてあげましょう。
なぜそのような感情が生まれたのかを理解することが次のステップとなります。

第二に、その感情がもたらすメッセージを聞いてみてください。

例えば、怒りが湧いたとすると、それは何かが自分の価値観に反しているからかもしれません。
恐れや不安があるとすれば、それは自分が何かを失うか、失敗する可能性に対する警告かもしれません。

このようにして、その感情が持つ意味や価値を理解することで、その感情を有用なものとして活用する方法を見つけられるでしょう。

感情は感情であり、それ自体があなたを評価するものではありません。

ネガティブな感情を持つことで自己評価を下げることはありません。
大事なのは、その感情をどう管理し、どう活用するかです。

どんな成功者も、大きく成長するきっかけは困難にぶつかる経験をしたことです。
ネガティブな感情がもたらすエネルギーを、具体的な行動に変えて来たのです。

ネガティブな感情に向き合うことで、自己認識を深めことはあっても、決して自己肯定感を下げる必要はありません。

まとめ

ピンクのシャンパン

自己肯定感を高める方法は、簡単ではありませんが、確実に効果が出るものばかりです。
日々の生活の中で、ぜひこれらの方法を取り入れて、高めていってください。

多忙で心が疲れているときにこそ、心がけてくださいね。

さあ、新しい自分に出会い、素晴らしい人生を歩んでいきましょう。

両親に感謝の言葉を伝える娘

【感謝の力】私の人生を変えた「ありがとう」

あなたは日々の生活の中で、お世話になった人たちに感謝の思いを伝えていますか?

照れくさくて言い出せなかったり、毎日忙しくてそんなことを考える暇がなかったりするかもしれませんね。

あるいは、心の余裕がない日々が続いていて、感謝が心に満ちてくるような瞬間が見つけられないかもしれません。

感謝を伝えることで幸福感が増す

おばあちゃんと孫

しかし、私たちが幸せになるためには、心から感謝することが大切です。

これは単なる私の主観ではなく、様々な調査や研究の結果からも明らかになっています。心からの感謝を相手に伝えることで、我々の幸福感は大きく増すのです。

  • カリフォルニア大学デイビス校のロバート・A・エモンズ博士とマイアミ大学のマイケル・E・マッカロウ博士の研究
  • ポジティブ心理学の分野で有名なペンシルベニア大学の心理学者、マーチン・E・P・セリグマン博士の研究
  • ペンシルベニア大学ウォートン・スクールの研究者たちの研究

それらの研究では、いずれも感謝を伝えることで満足感を得て、幸福感のスコアが上昇したという結果が出ているそうです。

感謝の思いを持てなかった時期

家族の後ろ姿

「感謝すること」が大切だと頭で理解していても、簡単に感謝の念を持つことは難しい時期もあります。

「なんで自分だけがこんな思いをしなければならないんだろう」
「どうして誰も自分のことをわかってくれないんだろう」

そんなふうに、自分だけがつらい思いをしているように感じたり、誰も自分のことを理解してくれないと感じたりするときもあります。

そんな思いが胸の中を満たしているとき、感謝の感情を見つけることは難しくなります。

私自身、感謝の大切さを理解するまでには長い時間がかかりました。
しかし、ある出来事を経て感謝の感情を理解し、その力を体感したからです。

私は小学生の頃、勉強を全くせず、悪さばかりする生徒でした。 そのせいで先生からは厳しく叱られ、周りからは見放されることが多かったのです。その頃の私には、感謝の念を持つこともなく、「ありがとう」の言葉を口にすることはありませんでした。

社会人になっても、仕事に対する感謝の感情はなく、たまたま選んだ職業としか考えていませんでした。

愛する人と結婚しても、何年も過ごしているうちに、一緒にいることが当たり前になってしまい、感謝の言葉を口にすることは少なくなりました。

感謝の思いがあふれ出した出来事

孫娘の笑顔

しかし、二つの出来事がきっかけで私の心が大きく変わりました。

そのきっかけの一つは、私に子どもが生まれたこと
もう一つは、消防現場での体験です。

ある日、出動した現場で見た光景は、私の中途半端でいいかげんな考えを、根底から打ち砕きました。

大けがをした家族を前に、泣き叫ぶ人々の姿
自分自身が血まみれになりながら、愛する家族を気づかう姿

救急車の振動に揺られながら、負傷者の胸部を汗だくになって圧迫しながら蘇生することを祈り続ける長い時間。

命の尊さと向き合い、その現場で感じた衝撃が私の心を大きく変えました。

死亡時刻を医師から告げられ、うなだれて病院をあとにする息苦しい時間。

そんな経験をくり返すうちに、自分の中の何かが、大きく変化していました。

我が子が保育園から帰ってくるのを見るたび、
この世に生まれてきてくれたこと
目の前に存在してくれること
愛する妻が笑いかけてくれること
家族と一緒に話しながらごはんを食べること

なんでもない平凡な日常の一瞬一瞬に対して、感謝の念が湧いてきました。

つらいときこそ「ありがとう」を伝えよう

お母さんのお手伝いをする男の子

それでも、生きていくといろんなことがあります。

予期せぬ不幸な出来事が襲ってくることもあります。
苦しくなって、心の余裕がなくなって、感謝の思いが薄らいでしまうこともあります。

そんなときこそ、「ありがとう」と感謝の言葉を口にすると、投げやりになりそうな気持ちが少しずつ前を向いてくれます。

心の余裕がないときは、ほんの小さなものでもいいので、「感謝」を探してみましょう。

ゆううつな朝に、心が重い夜に、あらためて伝える「感謝」は、少しずつ心を軽くしてくれます。

あなたも今一度、自分のまわりを見渡し、感謝できることを見つけてみてください。
心から感謝することで、幸福感が増し、人生がより豊かになることを願っています。

青空

幸せになるために「自分の幸せは自分で決める」

どうなったら幸せになれるんだろう?
何をやれば幸せになれるんだろう?
何があれば幸せになれるんだろう?

多くの人が、日常的に「幸せ」を追い求めています。

今まで幸せだと思いながら過ごしていた日々も、このコロナ禍になって、不安に彩られてしまったという人も多いと思います。

この「幸せ」というやつはほとんどの場合、目に目ないし、人それぞれ持っているイメージが異なります。

「幸福」については、いろんなジャンルの学会が研究を続けています。

だんだんわかってきたこともあれば、やっぱりぼんやりとぼやけてよく見えないという部分もありますね。

ただ、間違いないことは、今このときにも、

幸せを感じながら生きている人と
不幸を嘆きながら生きている人と
ふた通りの人間が存在しています。

どうせだったら幸せを感じながら、健康に生きて行きたいと思いませんか?

私自身は、消防士時代に出動した現場で、何人もの人が亡くなる姿を見ながら、
「幸せは自分で気づくものだ」と考えるようになりました。

けっきょく、人は自分が幸せになることを、自分で決めなければ幸せになれないのだと思います。

今回は、いっしょに「幸せ」になる方法について考えてみましょう。

幸福が先か、健康が先か

秋の紅葉の中を歩く若い親子

ずいぶん以前から、
「幸福感があるから健康に長生きするのか」
「健康だから幸福を感じているのか」

という幸福感と健康・寿命の相関関係ついて調査研究されてきました。

その調査結果を見ると、二転三転しているようなんですが、
「英国医学雑誌(BMJ)」が英ロンドン大学による研究結果を特集した2016年の研究結果では、

6年間の追跡期間中に1310名が死亡。
解析を行った結果、人生が楽しいと報告した回数が多いほど死亡率が低下していた。

50代以降に楽しく幸せな期間が長く続くことが、その後の死亡リスクの低下に関連している。

という結果だったそうです。

「幸福感」という主観的要素の強いものを扱うのですから、なかなか一筋縄ではいかなかったと思います。

その英ロンドン大学による研究結果によるところの50代以降の時期についてですが、

50代といえば、住宅ローンが残っていたり、子どもの学費ローンなど、まだまだたいへんな年代ではないかと思います。

こんな世の中ですから、いつ災害が起こるかもわからず、新型コロナウイルスが終息したとしても、また新たな感染症の恐怖に襲われるかもしれません。

そう考えると、60代になろうが70代になろうが、心の底から安泰な日々は送れないことになります。

そのことは逆に、幸福を感じることに年齢制限はないということではないでしょうか。

悲しい現場で幸せについて考えた

公園で遊ぶ母親と女の子

救急隊員として、また救助隊員として活動する現場で、人が亡くなることがありました。

長く勤めれば、そんな現場に遭遇する回数も増えます。
人が非業の死を遂げる姿は、何度目にしても慣れることはありません。

突然、人生の幕を強制的に降ろされてしまう人生。
しかし、誰にだってそうなる可能性があるのです。

私自身、ふだんから頭の中では「誰だって先はどうなるかわからない」とはわかっていたはずです。

わかっているつもりでも、おそらくは全くリアリティーのない概念でしかありませんでした。

しかし、苦しみながら亡くなっていく人を目にすると、大きなリアリティーの塊を手渡されたようでした。

まさしく自分の問題でもあるのだぞ、と言われたような気持ちにさえなりました。

当時の私は、子育ての忙しさや、仕事の問題などで、幸福感について深く考えることもありませんでした。

いつか生活にも気持ちに余裕ができてくれば、「なんとなく幸せかもしれない」くらい思うかもしれないなあ、という漠然とした気分でした。

しかし、リアリティーを持って自分の「死」や「幸福」ついて思いをめぐらせると、

この調子では何歳になっても、いや一生、幸せなんて感じないままに違いないと思いました。

今のこの問題が解決しなければ
この目標が達成できなければ
もっと時間に余裕がなければ

そんなことを考えて、幸せを感じることを先送りにし続けていました。

おそらく、私に限らず、多くの人たちがそんな思いで日々を送っているのではないかと思います。

そして多くの人が、幸せに気づかず、幸せを感じないまま人生を終えてしまうのではないか、とも思いました。

幸福感は相対的なもの

ノートカレンダーとペン

今、自分の目の前にある幸せを意識していこう、と思うようになりました。

家族がいてくれることの幸せ
友達と話せる幸せ
好きな音楽を聞くことのできる幸せ
自然の中でウォーキングできることの幸せ

大小いくつも幸せがありました。

幸福感を感じている対象も、当たり前に感じてしまえば、つらい出来事があったときには、その存在を意識しなくなりがちです。

幸福感は、いつも同じ大きさでどーんと構えてくれているものではないので、こちらの感情の動きにともなって揺れ動きます。

誰だって、毎日、いつでもどこでも同じ量の幸福を感じ続けることなんて不可能です。

なので、つらい出来事に出くわして、幸福を見失いそうになったら、意識して呼び戻すことが必要になります。

そのためには、日頃から幸せを意識して、幸せを数え上げて追加していくことを習慣にされるといいと思います。

嫌なことやつらい経験は、なかなか記憶から消えませんが、よかったことや楽しかったことはすぐに通り過ぎてしまいます。

一日の終りに、その日のよかった出来事を日記やノートに書き出してみることもおすすめします。

大きな変化のない一日でも、無事に会社から帰宅できたとか、家族の「おはよう」の挨拶が嬉しかったとか、どんな小さなよかったことでも書き出してみましょう。

よかったことを意識して文字にするので、幸福感を意識することになります。

感謝を伝えること

四葉のクローバー

幸福感の研究で幸福度を増すことがわかったのは、
感謝を伝えること
ボランティアなど他者に貢献すること
などです。

誰かにしてもらったことに感謝の念を持つだけでは、幸福感は増えず、感謝の思いを実際に伝えることで増すことが分かっています。

「ありがとう」と感謝の言葉を伝えられていない人がまだいませんか?

すでに伝えた相手でも、何度でも伝えてあげましょう。

勇気を出して伝えられことに、達成感を感じます。

相手の心に喜びの気持ちが広がれば、伝えた自分も嬉しくなります。

お金を使うことも、自分ではなく、他者のために使う方が幸福度が高くなるそうです。

仕事を投げうっての大掛かりなボランティアはなかなか難しいし、生活が成り立たなくなれば元も子もなくなります。

でも、ほんの少しでも善意を表して、そのことを日記やノートに書いてみるのもいいと思います。

自分の幸せは自分で決める

いつかあれが手に入れば
この夢がかなったら
目標を達成したら

そうすれば幸せになれる、と思いがちですが、何かを手に入れれば、また別の何かが欲しくなるのが人間です。

夢がかなったら、別の夢を追いかけ、目標を達成したら次の目標を立てます。
いつまでたっても幸福を感じることができない可能性があります。

夢も目標も大切なものです。
それに向かってがんばることは尊いことです。
しかし、それとは別の次元で「幸福」があります。

目の前の幸せ、自分が持っている幸せに気づき、
大切な人に感謝を伝え
誰かの役に立つことを
自分なりに継続していくことが、センセーショナルな派手さも、人に自慢することも必要のない、確かな幸せだと思います。

あなたは、今、どんな気持ちですか?
幸福を意識して、その感情を文字にしてみませんか。

日本海新聞に掲載された石川達之のコラム

幸福について考えること(日本海新聞コラム)

ここ数年、雑誌、テレビの特集や書籍でよく「幸福」の文字を目にする機会が増えました。

心理学、経済学、脳科学などの分野で「幸福感」「幸福度」についての研究が進められ、「幸福学」なるタイトルもよく目にするようになりました。

内閣府も国民の幸福度に着目し、「幸福度指数」作成が進められています。

経済問題だけではなく、個人の主観的な心のありようがいかに幸福感を左右するかが研究されています。

今年国連が発表した「世界幸福度報告書」の幸せな国ランキングでは、

GDP第3位の日本は、157カ国中5位です。

GDP1位のアメリカは13位

GDP2位の中国は83位です。

ほかにもいくつかの機関の幸福度に関するランキングがありますが、経済力がそのまま幸福度に反映するわけではないという意味では、同じような結果になっています。

しかし、「幸福」という言葉を口にすることに、少なからず抵抗感といいますか、照れくささを覚える方も多いのではないでしょうか。

思春期のころには「人間の幸福とはなんぞや?」などと深い思索をめぐらした方でも、社会人になって仕事の忙しさに追われ、新しい人間関係もつぎつぎに生まれ、子育てに大わらわな日々になると、そんなことを考える暇もなくなるのがほとんどだと思います。

私も、就職して結婚し、子供をさずかり、忙しく生活していく中で、いつしかそんなことは考えなくなる、はずでした。

ところが、 救急現場や救助現場で活動しながら、どうしてもそんな疑問について考えざるをえなくなることが何度もありました。

割れ砕け、路面のいたるところに飛び散ったフロントガラスの砕片。
運転席のシートの血液の黒い染み。
痛みを訴える叫び声。
かけつけたパトカーのサイレン音。

住宅で、工場で、路上で、ホテルで、学校のグラウンドで、いろんな形の「死」が現れては「生」とぶつかり、からまりあっては問いかけてきました。

「幸せってなんだと思う?」

経験年数を重ねるうちに、そんな非日常が日常になり、慣れていきました。

ようやくそんな疑問が薄らいだかと思うと、つぎの凄惨な現場でふたたび疑問を突きつけられるというくり返しでした。

そんな消防生活から離れて、すでに5年半が経過し、対向車線を通過する消防車や救急車を目にしても、ハッとすることもなくなりました。

幸福について考えることることもなくなりました。

消防士であったころが遠い幻であったような不思議な気持ちになります。そんな日生活の中で、今でもなお、ふいに鮮明な記憶がよみがえることがあります。

ぱっくりと切り裂かれた身体の切り口に見える黄色い脂肪層。
開放骨折で白い骨が露出した脚。血液のにおいや救急車内のにおい。
つぶれた車両を油圧拡張機で拡張し、挟まれ脚を引き抜く時の怒号のような指示命令の声。
自身が絶命することを受け入れられない無念の表情。

そんな時、あらためて「幸福」について考えます。人はもっともっと「幸福」について考えてもいいのではないかと思います。

何歳になっても、照れずに「幸福」を探し、その存在に気づくことや育てることを真剣に考えることが、心の病気が増加の一途をたどるこれからの時代には、ますます必要になることは間違いありません。

日本海新聞「潮流」の記事画像
日本海新聞に掲載された石川達之のコラム

ありきたりの言葉だけど(日本海新聞コラム)

この夏も、講演会でたくさんの人に出会いました。

猛暑の日が続き、壇上の私も汗だくになって話し、歌いますが、参加された人たちも、空調が暑さを和らげるまでの時間、汗だくで聞いていらっしゃいます。

最後まで汗だくなのは私だけで、講演が進むにつれ、汗が引いて落ち着かれ、私の話で弾けるような笑い声が会場に広がるのがわかります。

そんな会場も後半になると、感情移入して聞いてくださるのが伝わってくるような真剣な表情の人が多くなります。ハンカチを手に、涙を拭かれる人があちこちに見られるようになります。

それは何も、私が特別ドラマチックな話を語るからではありません。 消防士時代の現場 体験や、私生活のエピソードを語り、それがきっかけで生まれてき たオリジナルソングを 歌い、心理学の学びをお話しするだけです。

「産んでくれてありがとう」
「生まれてくれてありがとう」
「いてくれてありがとう」

大切な人に対して、 その思いを伝えてくだ さい、という地味なメッセージを、暑苦しくも汗だくで伝えています。

多くの人が、そんな ありきたりなメッセージに涙を流されるのは、誰もが同じ思いを持っているからではないでしょうか。
家族、恋人、友人、同僚が、自分にとって大切な存在だとわかっていて も、その思いを言葉にして伝える人は意外に少ないようです。

「ぜひ、皆さんも恥ずかしさを乗り越えて、言葉にして伝えてください」
どんなに大切な人でも、毎日会っていると、目の前にいることが当たり前だと感じてしまうのが普通なのかもしれません。

私の講演を聞き、照れくささを乗り越えて思いを伝えた人からのメールやお手紙をいただくことがあります。

「勇気を出して父親に 『育ててくれてありがとう』と伝えました。
その時すでに父は病気でした。先日、葬式をして送りました。たくさんの後悔がありますが、感謝の言葉を伝えられたことで持ちこたえられました」

ありきたりの言葉が伝える側も伝えられた側も、どんなに心を温かくし、救ってくれるかを、私の方こそ
改めて教えていただきました。

心臓をギューと絞られるような思いを経験した救急現場のことや、自分の生きている意味すら見失いそうになった私生活の出来事を、歌と話で伝えることをちゅうちょした時期もありました。しかし、そんなメールやお手紙に励まされて、これからも汗だくでメッセージを伝えていこうと思っています。

日本海新聞「潮流」の記事画像
日本海新聞に掲載された石川達之のコラム

「幸せ」はつかむものではなく、気づくもの(日本海新聞コラム)

「幸せ」でインターネット検索すると、膨大な数のページがヒットします。幸福になるためのグッズ販売であったり、セミナー告知であったであったりと、その内容はさまざまです。

どんどん願いがかなう、幸せな成功者に必ずなれる、今のあなたの人生が変わる、そんなきらびやかな文言に、いささかも心乱れないほど達観できてはいない私ですが、どのページもクリックするには至りません。なぜかと言うと、本当の幸せのありかを何度も目の前に突きつけられてきた経験があるからです。

私が消防士だった頃、火災、災害、救急現場で、大切な存在を失い、その現実がどうしても受け止められなくてくて泣き叫ぶ家族を、何度も目にしてきました。
見ているこちらも胸が苦しくなるほどの半狂乱の姿に、こんなにまで愛してくれる存在こそが宝物ではないかと、そのたびに強く思いました。

私生活でも、そばにいて当たり前だと思って過ごしていた家族との日々が、病気という忌むべき存在の登場で、尊い時間であることに改めて気づかされこともあります。
そんな当たり前のことさえも、コミュニケーションの行き違いや、膨大な情報に刺激され、「もっともっと」という上昇志向で生きることの疲れで、見えなくなってしまう人が多いのが現代のようです。

それどころか、波風たたない平々凡々とした日常を送っていてさえ、自らが生きていることや、大切な存在がちゃんといてくれているという幸せさえ意識しなくなりがちです。

もう5年前になりますが、消防局退職後にメンタルヘルスの学校に通いました。そこで教わった心理学の内容と、消防士時代に現場で感じ、考えたこととが多くの点で共通していることに気づきました。

上昇志向とまでは言わないまでも、他人との比較は、自分自身を向上させるモチベーションとなることもあれば、どんなに頑張っても上には上がいるという現実を否定的に捉えて、自分自身を認められない苦しい心を作ることもあります。
自分でも気づかないそんな満たされない心が、自慢や他人への攻撃につながり、さらに自分自身を疲労させてしまうこともあります。

たとえ未熟であっても、まずは今の自分をそのまま認めることがとても重要であること。本当の幸せは、目の前にあるのだということ。そんなことを教わり続けてきたように思います。 不惑どころか、知命の歳をとっくに過ぎた私ですが、目の前の幸せを日々感じた上で、夢や目標を追い掛けたいと今も思っています。

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