心の元気講演家 石川 達之ホームページ

音楽

コミュニケーション講座会場

コミュニケーションと音楽

歌入り講演会をやり続けている私にと、「コミュケーションと音楽」というテーマでの講演のご依頼をいただきました。

マイク一本あればいいという普通の講演家と違って、ギターを弾きながら歌い、かつしゃべるというスタイルでやるには、いろいろと面倒なこともあります。

しかし、そんな面倒なことを差っ引いても、話の合間に弾き語りをいれることで得られる反応は、比較にならないほどいいものになります。

アウェーな会場ではなおさら、そのありがたさを痛感します。

最初は、
「おいおい、講演会にギターを持って来てるよ」
というようなちょっとした戸惑いのような雰囲気が会場に流れます。

それでも自己紹介に続いて1曲歌うと、笑いが起こり、だんだんと心を開いて聞いてくださるようになる気配が伝わってきます。

今までいただいたアンケートにも、

「テーマにあった曲が入ることで、心にダイレクトに響きました」

「歌を聞いていると、抵抗感なく、素直にメッセージがスーッと入ってきました」

「初めて聞いた歌なのに、とても懐かしい気持ちになり、帰ってから今まで以上に家族に優しくしたいと思いました」

などなど、ありがたいお言葉が書かれていました。

この講演会では、今までほとんど講演で話す機会のなかった「歌」や「音楽」のことを話しました。

その講演は、鳥取県倉吉市の傾聴ボランティア「あいりす」さんの連続講座「傾聴ボランティア養成講座」の中のひとつとして開催されました。

傾聴ボランティア「あいりす」研修会で歌う石川

社会人になってもギターを弾き、オリジナルソングを作り続けたのは、そもそもは自分の心の癒しのためでした。

事故現場や災害現場で活動し、どうしてこんなに悲惨なことが起きてしまうんだろうと、自分の力ではどうしようもないことに思いわずらった時期にも、非番の日にギターを弾きながら、そんな自分の心を歌詞にして、歌いました。

息子が思春期の頃、関わり方に悩み、さみしさも感じながら、親としての悩みや希望を歌にしました。
時に涙を流しながらオリジナルソングを作る作業は、私自身の心を癒し、無力感や絶望感から救ってくれました。

今の自分、今の家族との関係、職場での自分の立場などが、歌詞を作る作業の中で、だんだんと客観的に見られるようになり、心の中のざわめきが少しずつおさまっていくのを感じました。

そんな自分のために作った曲たちを、講演会で聞く方の多くが、自分に重ね合わせて聞いてくださっているとおっしゃってくださるので、そのたびに感激します。

この日の講演では、歌う消防士時代の話から、最近の曲作り、さらには音楽療法の話なども少しさせていただきました。
日頃から傾聴ボランティアをされている方々なので、傾聴についての学習は日ごろからされていらっしゃるし、経験も豊富です。

私自身が、実際に講演後に参加者さんから聞いた話や、メンタルヘルスを共に学ぶ人たちから聞いた、医師、看護師、カウンセラーなど、いわゆる「傾聴の専門家」といえる人たちから言われて深く傷ついた言葉についてお話しました。

後日、アンケートをまとめたものを送っていただきました。
その一部を紹介します。

・心に響く、素晴らしい講演でした。いっぱい気づきをありがとうございました。

・「正論で人の心は動かない」が心に残りました。責めるのをやめたいと思いました。

・「笑い」で心身ともに健康になる。歳を取ることを楽しんで! 実体験に基づいたお話は感動と涙でいい会でした。

・ユーモアを交えた音楽で癒やされました。涙もありましたが、たくさん笑って免疫力が上がりました。ありがとうございました。

などなど、たくさん嬉しいお言葉をいただきました。

やっぱり講演に歌を入れてきてよかったと、再認識させていただく会となりました。

ご来場の皆様。スタッフの皆様。ありがとうございました。

項 目内 容
講演会タイトル令和3年度「傾聴ボランティア養成講座」
日 時2021/12/4(土)13:30~15:00
演 題コミュニケーションと音楽 ~愛を込めてリッスン~
場 所鳥取県倉吉市 倉吉未来中心視聴覚室
主 催傾聴ボランティア「あいりす」

男女共同参画講演会で話す石川達之

コロナ疲れを癒やしましょう「心の元気講演会」

昨年、新型コロナウイルスの感染が拡大しはじめたころ、まさかこんなに長引くとは思わなかったという方も多いのではないかと思います。
私もそうでした。

私の住む鳥取県は、都市部のような緊急事態宣言も、まん延防止等重点措置も適応されませんでしたが、県民の心は感染に怯え、緊急事態宣言下の都市部の住民とかわらないくらいの自粛生活がつづいています。

今まで地域のつながりで話し合っていた人たちと会う時間も減り、親戚縁者とも会えず、お出かけする機会もなくなり、日常的にストレスがどんどん蓄積する状態なので、最近は少しずつ私への講演依頼が復活してきました。

「コロナ、コロナでみなさんの気持ちがふさいでいますから、心が元気になるお話をお願いします」
「コロナ禍でも心が元気になるためにできることを話してください」

そんなお電話をいくつかいただきました。

メンタルヘルス的にも、人と話す時間が持てなくなると、蓄積したストレスが解消されづらくなります。昨年は「リモート飲み会」とか「リモート女子会」という言葉が流行りましたが、今年に入るといつのまにかあまり聞かなくなりましたね。

コロナをきかっけに発見したリモートの良さもありますが、リアルに会って話せることの嬉しさや楽しさには遠く及ぶものではないようです。
講演やライブが再開されるようになって、あらためて生の良さを味わった方も多いのではないでしょうか。

鳥取市男女共同参画のイベントであるハーモニーフェスタ講演会で話す石川

10月3日(日)には、鳥取市にある鳥取大丸の5階を会場に、鳥取市男女共同参画のイベントであるハーモニーフェスタが開催されました。
私は90分の講演を担当しました。

やはりコロナ禍ということで、間隔をあけるために定員をかなり少なめに限定しての開催でしたが、ありがたいことに問い合わせの連絡がとても多かったそうです。

私の講演は単にしゃべるだけではなく、歌も歌うのでなおさら参加者さんと距離を取り、フェイスガードをつけ、さらに私の前面には飛沫防止のビニールシートが張られていました。

コロナ禍だからこそ、ストレスを蓄積しないために笑って泣きましょう。
ストレス解消になる感情は「笑い」「泣く」ことだけだといわれています。

笑いテーマの歌では、予想以上の笑いが起こりました。
悲しい出来事を乗り越えた話や、救急現場での実話に、涙を拭いていました。

鳥取市男女共同参画のイベントであるハーモニーフェスタ講演会で話す石川

感染対策した上で人と話し、心を動かせることの幸せを、私も感じさせていただきました。

終わったあとは、笑顔で話しかけられる方、涙で目をうるませながら話しかけられる方、さまざまでした。

一日も早く会いたい人に会って、直に話せる日々が戻ることを祈りながらお話をさせていただきました。

●この日の講演の様子を女と男とのハーモニーフェスタ実 行 委員会さんがパンフレットにされました。
詳しくはコロナ禍を縫っての男女共同参画イベントで。

●男女共同参画センター機関紙に掲載されました。
詳しくは男女共同参画センター機関紙に掲載されましたで。

項 目内 容
講演会タイトル第28回女と男のハーモニーフェスタ
日 時2021/10/3(日)13:30~15:00
演 題泣いて笑って考えるコロナ禍での家族関係
場 所鳥 取県鳥取市 鳥取大丸5階
主 催女と男とのハーモニーフェスタ実 行 委員会
石川達之のトークライブ風景

「心にしみる笑いと感動」トーク&ライブショー

2015年12月6日、鳥取県湯梨浜町の中央公民館泊分館で開催された「とまり公民館まつり」でトーク&ライブショーということで出演しました。

「とまり公民館まつり」が開催された湯梨浜町の中央公民館泊分館の外観

講演のタイトルは、館長さんに考えていただいたもので「心にしみる笑いと感動」と、ちょっと面映い感じもありましたが、タイトルに恥じないように全力でやりました。

公民館まつりとか、公民館文化祭などでライブだったり講演会をやる機会がけっこうあるんですが、あの雰囲気が好きなんです。
地域の方やゲストの方が、多種多様なパフォーマンを見られたり、作品展示が見られたりというのも楽しみです。

「とまり公民館まつり」が開催された湯梨浜町の中央公民館泊分館の会場

トーク&ライブショーは、もうのっけからの大爆笑をいただきました。
消防現場のエピソードでは、シーンとしてのめり込みきみに聞いていただきました。
ほんとうにやり甲斐を感じさせていただく瞬間でした。
皆さんのこの笑顔! 最高です!

「とまり公民館まつり」講演で石川の話を聞いて笑う参加者

終わったあとは、お楽しみ抽選会で、クジの抽選役もやらせていただきました。

「とまり公民館まつり」最終の抽選会

催し多彩 泊に活気(日本海新聞)

「とまり公民館まつり」で講演する石川が掲載された日本海新聞の記事

「とまり公民館まつり」が、湯梨浜町中央公民館泊分館で開かれた。
ステージ発表や作品展示、バザーなどがあり、地域住民らでにぎわった。

ステージ発表では仲村敦司さんによるひとり太鼓の心響く音が会場に広がった。

トーク&ライブショーでは、同町心の元気パートナーの石川達之さんが「心にしみる笑いと感動」と題し、笑いあり涙ありで元気になれる話と、方言を交えた楽しいギターライブを繰り広げた。

石川さんは「誰かが認めて愛してあげて場所を作ってあげることが大事。居場所があり生きてくれてさえいれば何でもできる」などと話し、会場は感動と笑いでいっぱいになった。

また、園児や地域の人たちの展示作品が来場者の目を引いていたほか、公民館前では各地区のバザーがあり、焼そばやおでんなどが人気を集めていた。

項 目内 容
講演会タイトルとまり公民館まつり講演会
日 時2015年12月6日
演 題「心にしみる笑いと感動」
場 所鳥取県湯梨浜町泊 湯梨浜町中央公民館泊分館
湯梨浜町報の石川達之の人権コンサートの紹介記事

「言葉にしないと伝わらない」人権コンサート

2015年2月25日、湯梨浜町で「人権トーク&コンサート」をやりました。
その時の内容を湯梨浜町報の「人権教育シリーズ」で取り上げていただきましたので、ご紹介します。

湯梨浜町報の「人権教育シリーズ」で取り上げられた石川の講演会記事

共に生きる 人権教育シリーズvol.34
湯梨浜町教育委員会生涯学習・人権推進課

地元ミュージシャンからの心温まるメッセージ

「『あなたは大切な存在、愛している-』。言葉にすると照れくさ いけれど、言葉にしないと相手に伝わりません」
2月5日、中央公民館で開催された「人権トーク&コンサート」で、講師の石川達之さん((長瀬中部)は、このように語られました。

消防署を早期退職し、コンサートや講演活動を展開されている石川さんは、奥さんがうつ病を患った際、どのように接すれば良いか悩んだ時期があったそうです。
しかし、さまざまな人からアド バイスをもらう中で、相手の存在価値を言葉にして伝えることが重要であると知った石川さんは「うつ病を患っている人に限らず、誰かが自分の存在を認めてくれるということは、辛いことや悲しいことを乗り越える力になります」と話されました。

また、消防署勤務時代の体験談も語った石川さん。
「事故現場に到着すると、息子と同い年ほどの小さな子どもが、すでに心肺停止の状態でした。冷静に処置しようと努めましたが、涙が止まりませんでした。帰宅し、息子を繰り返し抱きしめると、また涙がこぼれました。命は何ものにも代え難い尊いものだということを、理屈ではなく、心の底から湧き起こるように自然に感じました」と話され、最後にまあるいいのち」を歌って、会場を優しさあふれる歌声で包み込みました。

項 目内 容
講演会タイトル「思いやり その輪がつくる優しい社会」人権コンサート
日 時2015年2月25日
場 所鳥取県湯梨浜町龍島 湯梨浜町中央公民館
主 催湯梨浜町教育委員会生涯学習・人権推進課
日本海新聞に掲載された石川達之のコラム

わたしの「故郷」(日本海新聞エッセイ)

唱歌「故郷」と言えば、日本全国歌えない人はいない! というくらいよく知られた歌です。「日本人の心の歌ランキング」というようなものがあれば、間違いなく1位になるに違いありません。それくらい日本人の心に深く染み渡るメロディーと歌詞だと思います。

 私のライブ、講演ではどこでやっても、基本自分のオリジナルソングしか歌わないのですが、「参加者全員で歌える歌を」と要望された場合は、この「故郷」を一緒に歌っています。年配の方々も、この歌を歌うときは大きな声を出して歌われます。その表情は歌う人、一人一人が主人公として自分の半生をふり返っているように見えます。

私が小学生の頃は、「兎追いし」を「ウサギ美味しい」だと思い、「つつがなしや」の意味は分からなくても、「トモガキ」というおいしそうな柿のことは分かる、などと思っていました。社会人になってからは、3番の歌詞「志を果たして/いつの日にか帰らん」の切々たる望郷の思いに感じ入るようになりました。

鳥取県中部出身で、東京で音楽活動を続けている竹内克文さんと私で作った「梨のうた」は、作詞するにあたって「現代版の『故郷』を作ろう」という大それた思いで作りはじめました。

虚空をにらみ、言葉を探してもなかなか生まれ出ては来ませんでした。何日も何日も、鉛筆を手にして頭の中をまさぐっても、一行も出てきませんでした。高望みを止め、故郷を離れて都会で暮らす息子への思いを文字にしました。

「店先に並ぶ梨の実見つめ/君、せつないほど目もとうるます/黄緑色が鮮やかに/手のひらの上で輝いて」

「都会の季節はいつだって/知らぬあいだに移ろうが/君が夢さえ忘れなきゃ/いつかは開く白い花」

その文言を鉛筆で書き綴った時、不覚にも涙が流れて止まりませんでした。

実家がかつては梨の生産農家だったこともあり、剪定、人工授粉、袋かけなどの作業風景が蘇り、梨畑一面に広がる白い花が浮かびました。その映像の中に、自分の生き方に悩み、描いては潰(つい)えていく夢を追い、傷つき悩む息子の姿が見えた気がしました。

 最近は、講演会のラストをこの歌でしめくくることが多くなりました。いつかは「故郷」に近づける歌を作りたいという野望だけは捨てずに、歌作りを続けていきたいと思っています。それができるまでは、「君が夢さえ忘れなきゃ」と、自分自身を励ましながら歌い続けようと思います。

日本海新聞「潮流」の記事画像
日本海新聞に掲載された石川達之のコラム

希望の歌へ(日本海新聞エッセイ)

昨年、私の講演会に、かつて消防学校で鬼教官と呼ばれていた恩師が、ご家族と一緒に来られました。

今でこそ違和感なく「恩師」と書けますが、28歳だった当時の私は、その厳しさに憎悪の炎をメラメラと燃やしていました。元鬼教官の満面の笑顔を見て、懐かしさと嬉しさがこみ上げてきました。

 筋肉痛に耐えて走ったり、ロープを登ったりしていた光景がよみがえりました。寮生活で、週末だけ帰宅が許されていました。

月曜日の朝、車で学校に向かいながら、高い訓練塔が視界に入ると、名状しがたいブルーな気持ちになったものです。ここだけの話ですが(そうは言っても読まれてしまうと思いますが)、陰で同期生達と悪口雑言でストレスの解消をしていました。それも懐かしい思い出です。

「僕のこと覚えてくれてましたか?」
「覚えてる、覚えてる。潮流も毎月読んどるよ」

そんな会話を交わしながら、消防退職4年目にして、またも原点に戻れた気がしました。

「またも」というのは、以前にも一度、原点を意識したことがあったからです。

以前、倒れて意識がなくなった母の病室に向かうとき、夜の待合室を通りました。

夜なのに、数人の方が診察室前廊下のイスに座っていました。苦しみ続けているに違いない母のことを考えながら歩いていた廊下は、かつて救急隊員として何百回も病人やケガ人をストレッチャーに乗せて搬送した見慣れた場所でした。

かつて、胸を締め付けられるような思いで搬送したことも思い出しました。その時ふいに、そこで不安そうに座っている人達のことが胸に迫ってきました。

みんな手術を受けている人の心配をしたり、自分自身の病気の不安と戦っていたりしているのだ、ということがリアルに伝わってきました。

私は立ち止まって、そこのイスに座っている人、一人一人の肩を抱いて、「たいへんですね。つらいですね」そう言ってあげたい衝動にかられました。

脱サラした時の、聞いてくれる人の心に寄り添ったり、共感できる歌や話をしたいという原点に戻れた気がしました。それがやがて聞いた人の希望の歌になるように頑張らねばという原点です。

元教官に、「今夜は米子で飲もう」と誘われましたが、予定があったので、「またこちらから連絡します」と答えたものの、まだ連絡していないのを思い出したので、このあたりでひっそりと拙文を終えたいと思います。

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日本海新聞に掲載された石川達之のコラム

自分を認める作業(日本海新聞コラム)

消防局を早期退職して歌入りの講演を主な仕事にするようになって、二年半が過ぎました。

講演に自作の歌が入るという変わったスタイルのため、「どんな時に歌を作るんですか?」、という質問をよく受けます。
車の運転中だったり、自室にこもって作ったりと、状況は様々です。私の場合、歌を作るという行為は、自分の感情を認めていく作業でもあります。

 世間一般の消防職員に対するイメージは「勇猛果敢」、どんな状況にも屈することなく立ち向かうというものではないでしょうか。

そうあらねばならない反面、消防士も人の子です。原形をとどめない人の姿や、自分の子どもと同じ年頃の子どもが絶命した姿を目にして、何も感じずにいられる人間などまずいません。

現場では、夢中で活動するものの、活動が終わって一人になると、その情景が鮮明によみがえり、涙が流れて止まらなかったこともありました。

非番日に、自室でギターを弾くと、自然に歌が生まれてきました。子どもへの思いがメロディーに乗って口からあふれ出て来ました。

現場や職場では出せなかった感情を解き放つように、泣きながら歌いました。それは、「自分は悲しかったのだ。切なかったのだ」と、自分の感情を受け止める作業でもありました。

 私自身、笑えない時期がありました。仕事や子供のことで悩み、苦しい思いの時にも歌を作りました。

夜中に病気で苦しむ妻のため息が聞こえてどうしていいのかわからず途方に暮れた日々にも、どこへ向けていいのかわからない怒りがこみ上げてきたり、へこんでやり切れない時も、歌を作りました。

それは悲しみや苦しみや怒りの確認でした。忘れることではないし、歌うことが解決ではない。それは自分の感情を認める作業でした。

胸の中にある言葉を書き出していくと、次第に自分の置かれている状況を客観的に見ることができるようになりました。
「いいとか悪いとかではなく、自分はその時そう感じたのだ」と、ありのままの自分を受け入れることができるようになりました。

 そんな歌を講演会で聴かれたたくさんの方が、「癒された」「気持ちが楽になった」「優しい気持ちになった」という感想をアンケートに書いて下さるようになりました。

こんな、ある意味自分療法で作った歌が、少しでも聴いた人の心を軽くし、力になることができるとしたら、作者冥利に尽きます。もっともっと心に届く歌を作って行きたいと思っています。

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日本海新聞に掲載された石川達之のコラム

苦肉の策から方言ソング(日本海新聞コラム)

鳥取県中部弁のギャグソングを作り、人前で歌いだしてから15年以上が経過しました。

それまでは、ちょっと暗めのオリジナルソングばかりを地元のライブハウスで歌っていました。

そんな私に、ほとんどが年上の女性100名近くの集まりで歌って欲しいという依頼がありました。
音楽好きでライブハウスに足を運ぶ層とは違う人たちだろうと予想し、何か作戦を考えなければ聞いてもらえないと思いました。

何日も考えあぐねた末に作りだしたのが方言の歌でした。

歌の合間に語りが入るという形式自体は珍しいものではありませんでしたが、歌と演奏が止まって語りだし、再び歌が始まるという形式を考えついた時には、これは革新的ではないか、と自分ながら思いました。

「鳥取県中部地方のおばさんは~」という歌詞で始まる「疑問」という歌でした。しかし、女性を前にして「おばさん」なんて言葉を使って顰蹙を買うのではないかという恐れもありました。ドキドキもので本番に臨んだのですが、会場は爆笑の渦となり、中には涙を流して笑う方もいました。

「地域の活性化」とか「方言伝承の重要性」など、まったく意識することもなくやりはじめたことでしたが、フリーペーパーの編集者さんや、新聞記者さんからコメントを求められるようになりました。

自主ライブの来場者も驚くほど多くなりました。注目してもらえることは嬉しかったのですが、特に使命感もないまま、「ウケる」ということだけで歌ってきたことに対する後ろめたさを感じていました。

もう止めようかと考えはじめた頃、知らない人からよく声をかけられるようになっていました。スーパーで買い物をしているとき、書店で本を物色しているとき、いろんな場所で話しかけられました。

「言っとくけど、私の方が方言には詳しいで」「○○という方言を知っとんなる?」という感じです。

ほとんどが女性で、満面の笑顔で、活き活きと話される表情を見ているうちに、方言ギャグソングも少しはいい仕事をしているのではないか、と思えるようになりました。

かつては私自身が、ステージで話す自身の訛にコンプレックスを持っていたのですが、その頃には誰憚ることなく、思う存分訛りまくることができるようになっていました。

方言というものがコミュニケーションツールとして有効なものであるということを、たくさんの方に知ってもらうきっかけにもなると考えるようになりました。

あとは、「おばさん」という言葉を封印したいとも考えるのですが、「なんで今日はおばさんの歌をやらないの!」と怖い顔で迫って来られるのは決まって女性です。非常に悩ましいところです。

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日本海新聞に掲載された石川達之のコラム

「がんばれ」のゆくえ(日本海新聞コラム)

「がんばれよ」という言葉が、昔と違ってずいぶん嫌われるようになりました。

確かに病気で苦しんでいる人や、すでに精一杯やっている人、がんばり過ぎている人に言うべき言葉ではありません。ただでさえ苦しんでいる人に向かって言う「がんばれ」は、応援されているのではなく、「お前はもっとがんばれ」と突き放され、責められているように感じるからです。

そんな不用意な励ましがきっかけで、よけいに苦痛が増し、「自損行為」に至るケースも少なくありません。「自損行為」とは、救急出動種別の中のひとつで、リストカットや睡眠薬の大量摂取など、文字通り、自分の身体を自ら損傷させる行為です。

「これ以上どうやってがんばれって言うんだ!」という絶望感に打ちひしがれての末、思い余って、という事例もあります。

そこまで深刻ではないものの、相手にかける言葉が見つからなかったり、相談事が込み入っていたりしたときなど、とりあえずという感じで「がんばれ」を使ってしまうこともありがちかもしれません。

そんなマイナスな側面を持つこの「がんばれ」という言葉ですが、最近ではどうかすると「がんばれ」という言葉自体を忌み嫌う人が多くなっているように感じます。

叱られているように感じるとか、自分が怠けていると見られているとかのほかに、「頑張れ」の「頑」は「かたくな」だから、心をかたくなにしてはいけない、ということも言われることがあります。このまま忌み言葉として、日常会話から姿を消す運命にあるんでしょうか。

しかし、自分の子供が困難を乗り越えようとしている時、友人の心が揺れていて逃げそうになっている時、仲間が元気に目標に向かっている時、地区運動会のリレーで選手を応援する時、「がんばれ!」と声援を送ることに問題があろうはずはない、と私は思います。

広辞苑で【頑張る】を調べてみると「どこまでも忍耐して努力する。『成功するまで―・る』」という意味もありました。

人は人生の中で、歯をくいしばってがんばるべき時期がありはしないでしょうか。かたくなまでに必死になって何かをやったからこそ見えてくる風景もあるはずです。

友人や我が子には、一方的に「がんばれ」ではなく、「一緒にがんばろう」という伝え方をしてはどうでしょうか。

そして「大丈夫」という言葉と同様に自分自身には「がんばれ」と励ますことも大事ではないでしょうか。他人も自分も追い込むのではなく、愛情や友情、心配の感情をちゃんとこめての「がんばれ」という言葉は尊いものだと思います。

日本海新聞コラム「潮流」掲載画像

中学PTA人権講演会で話す石川達之

「生活に笑いを取り入れて」PTA人権教育講演会

2013年8月7日に鳥取県湯梨浜町立東郷小学校PTA人権教育講演会で90分やらせていただきました。
後日、お礼と取りまとめたアンケートの結果を郵送していただきました。

当日は暑い中、たくさんの保護者さんが参加されました。
保護者さんはそれぞれお仕事でお忙しくされているのですが、子どもたちは夏休み期間なので、ぜひ時間をつやりくりして一緒にたくさんの思い出を作って欲しいと思い、私の経験も話しました。

私自身は、息子たちが小学生の頃は、消防士として24時間の隔日勤務をしていました。
子どもたちからすると、朝から晩までずっと父親がいない日が、一日置きにあるわけですから、その分非番日にはなるべく一緒の時間を多くしました。
夏休みなると、家族でキャンプによく出かけました。
妻が仕事の日には、子どもたちと遊具のある公園に行ったり、山までドライブをしたりしました。
子どもたちは父親とよくしゃべってよく遊んでくれました。
そのおかげで私自身のメンタルも癒やされてきました。

湯梨浜町立東郷小学校PTA人権教育講演会で話す石川

その後、妻が心の病気になったとき、息子たちはそれぞれ都会に住んでいましたが、病状が悪くなると一致団結することができました。
「お父さんの力だけでは、お母さんを元気にできないんだ。
君たちと力を合わせて、お母さんの病気を治してあげよう」

そんな会話もしました。

息子たちがその後、「父を尊敬しています」と人前で言ってくれるようになったのも、子どもの頃に多くの時間を一緒に過ごし、母親の病気から人を気づかったり、優しくすることを学んでくれたおかげだと思っています。

そんな個人的な体験も含めてお話させていただきました。

湯梨浜町立東郷小学校PTA人権教育講演会で話す石川

アンケートの中の一部をご紹介申し上げます。

石川さんのお名前は存じていましたが、お話もお歌もはじめてお聞きし、とても心があたたかくなりました。
家族を思う気持ちに同感し、涙が何回もあふれました。
また、親としても現役で夢を追い続けておられる姿を、私も見習いたいと思いました。
子どもにも夢を持って、実りのある人生を歩いていってほしいと願っています。

生きていてくれるだけで! 本当にそうだと思います。
日々の生活に追われ、欲が出、我が子が生まれた喜びや生死をさまよった時の苦しみ、哀しみ・・・、
単純に愛する気持ちを忘れてしまいます。
毎日楽しく過ごしてくれたら・・・元気でいてくれたら・・・悩んだり、迷った時には原点に戻る。
これからの生活の中で大切にしたい言葉でした。ありがとうございました。

石川さんのお話をきいていて、改めて生まれてきて、こうして生きてくれている我が子が愛おしく思いました。
こうあるべき、こうなってほしいという親主体の心から、怒りもわき、子どもたちを傷つけていた言葉もあったなぁ・・・とふり返りました。心から愛するわが子たちに、その思いを、笑いを取り入れながら伝え、明るい家庭にしたいです

皆さん、最後まで真剣に聞いていただいて、ほんとうにありがたいとうございました。

項 目内 容
講演会タイトル湯梨浜町立東郷小学校PTA人権教育講演会
日 時2013年8月7日
演 題「家庭と現場で学んだ人生の大切なこと」
場 所鳥取県湯梨浜町 湯梨浜町立東郷小学校
主 催湯梨浜町立東郷小学校PTA
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