心の元気講演家 石川 達之ホームページ

子育て

保育所で子育の講演会で歌う石川達之

完璧を目指さない子育て

親にとっては、子どもは何ものにも代えがたい大切な存在です。 大切な存在だからこそ、精一杯のことをしてあげようと思うのが親心です。

精一杯やってあげようと思っているのに、忙しさでイライラして叱り過ぎてしまった
なかなか思い通りにしつけができない自分を責めてしまう

なんてこともあるのではないでしょうか。

しかし、どんなに万全を期しても完璧な子育てなど、神様ではない人間にできるはずもありません。

完璧を目指さないで、ほんのちょっといい加減くらいの方が、親にとっても子どもにとってもよいのかもしれません。

「大切な子どもに向き合うのに、いい加減なんてとんでもない!」
とおっしゃらずに、完璧を目指さない子育てについて考えてみませんか。

完璧を目指すと親も子もつらくなる

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ついつい無意識に完璧な子育てをしようとして、
ああするべきだった もっとこうするべきだった
あんなふうに言うべきではなかった

などなど、自分の至らなさを自分で糾弾してしまうこともあると思います。

しかし、完璧を求め過ぎるがために自分を責め、結果的に親として自信をなくしたり、ついつい気持ちが暗くなったりすると、逆に子どものためによくありません。

親はいつも輝くような存在でいて欲しいと、子どもは思っているはずです。

まずは親が元気でいることが、よい子育ての第一歩だと思います。

子育てに遅すぎるはない

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「育て方を間違えたのかもしれません」

講演会のあと、そんな話をされるお母さんもいらっしゃいます。 でも、よく考えてみてください。完璧な子育てなんて存在しません。

親も子どもも個性はそれぞれ違いますから、やんちゃな子どももいれば、慎重な子どももいます。 子どもに大して同じ言葉かけをしても、子ども性格によってうまくいく場合もあれば、うまくいかない場合だってあるでしょう。

同様に、同じ出来事が起きても悲観する親もいれば、楽観的で動じない親もいます。

どんなに優秀な子育てをしているように見える家庭でも、外からはうかがい知ることのできない悩みや心配を抱えているものです。
どんな優秀な親であっても完全な親など存在しないように、完璧な子育ても存在しません。

人間は機械ではないので、感情というものがあります。どこか思い通りにならなかったり、後悔が残ったりするものです。
ですから、子ども◯歳になってしまったから手遅れだ、なんて考えないでください。

子どもが中学生になっていても、高校生になっていても「このことは伝えておきたい」と思うことは伝えてあげましょう。

幼い頃の接し方が間違っていたと気づけば、今の時点でできる限りのことをしてあげましょう。
決して、親である自分を否定などしないでくださいね。

いくら思春期で反応してくれなくても、こちらが真剣に愛情を持って伝えようとしていることは届いています。

子ども自身が、それを受け取ったことを表現するまでまだまだ年月が必要なだけです。

樹木が滋味豊かな土壌から養分を吸収するように、ゆっくりじっくり心の中に溜め込んでいるところなのです。

子どもが親を成長させてくれる

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私たち夫婦のことを話させていただくと、完璧とはほど遠い子育てで、悩むことがとても多くありました。

時には育て方についての考え方の違いから、口論になることもありました。
でも、子ども達のことを真剣に考えていたことをお互いに知っています。

自分自身のこと以上に不安になり、こんな育て方で良いのかと苦しむことも何度もありました。
そのおかげで、いつも夫婦でたくさん話しました。

子育てという大事業をやり遂げる過程で、我慢強くもなり、深い愛情も持つことができ、沢山のことを学ぶことができました。

最初から完璧だったら、あっさりとした子育て時代を過ごして、あっさりした薄味の人間になっていたかもしれません。

日本全国どこへでも講演に行きます

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そんな話を、広島県福山市の手城保育所の講演会でさせていただきました。

私の住む鳥取県の湯梨浜町から車で3時間半かけて伺いました。片道3時間半かかり、日帰りなので、講演終了したらさらに3時間半かけて帰宅します。

この日、遊戯室で持参した音響機器の準備をし、音出し、声出しをしました。
講演の中で歌うオリジナルソングを1コーラスだけ歌いました。
会場の準備をされていた職員さんが、それを聞いて涙ぐんでおられました。

講演中は、保護者さんも職員さんも、多くの方が涙を拭いていました。

講演が終わり、職員さんが謝辞になりましたが、涙でしばらくお話できない状態でした。
講演の内容と、ご自分の子どもさんのことが重なってつい涙になったのでしょう。

終わった後も、参加された方々から「涙が止まらなかった」「歌詞が心に響いた」などなど、嬉しいお言葉をたくさんいただきました。

基本的に、お声をかけていただければ日本全国、ギターを背負って伺います。 北海道は飛行機で、熊本県には新幹線で行きましたが、中国5県と関西方面は基本車で行きます。

ぜひ、実際に生の歌声とともに講演を体験してください。

項 目内 容
講演会タイトル手城保育所保護者会講演会
日 時2023年6月3日(土)
演 題「救急現場で学んだ子育ての原点  ~子育ては親育ち~」
場 所広島県福山市手城町 社会福祉法人福住会 手城保育所
郡家西小学校で講演する石川

人生観が激変した現場体験を通して子育てと人権を

私の講演活動の話になりますが、小・中学校、高校で人権講演会をする機会が多くなりました。
生徒が対象のこともありますが、多くは保護者の方々が対象です。

「子育て」「人権」
一般的には、このふたつのテーマはそれぞれ別の単独の講演、研修会になります。

保護者が対象の講演会は、学校が人権参観日の日に開催されることが多く、主催される側からは、
「人権の話だけではなく、子育てについても話していただきたい」
というご要望がほとんどです。

私がよくお話するのは、
「人権意識は食卓から」ということです。

もちろん、学校などの外部で学んだり、自ら読書などで知識を得たりすることで、人権意識を高めることもあります。

しかし、大切な根本である家庭生活で、差別的な会話がいき交っていれば、幼い子どもの心に正しい人権意識が育まれるとは考えづらいのです。

親子の触れ合い方や会話の内容によって、偏見に固まらない柔軟な思考ができる子どもに育てることが可能になります。

郡家西小学校で講演する石川

10月1日に、八頭町立郡家西小学校の人権参観日で講演をさせていただきました。

演題は「救急現場で学んだ人生の大切なこと ~子育ては親育ち~」

例年は、他校の保護者、地域住民の参加もあるそうですが、今回は感染防止のためにそれらの方々には、収録したものを後日YouTubeで配信される予定とのことでした。

後日配信された講演動画の画面

子どもの心は純粋で、親の会話をよく聞いています。
親が建前と本音を使い分けることも、すぐに察知します。
だからこそ親として、日ごろの言動には注意したいものです。

ことあるごとに「人権教育」の場が設けられ、学習する機会も多いのですが、残念なことにコロナ禍になって差別的な事象があらわになりました。

夜になっても開けている飲食店に投石をしたり、誹謗中傷の張り紙をしたりする人の報道が相次いでありました。

私の住む鳥取県でも、駐車されていた県外車に投石したり、傷つけたりという事例もありました。
新型コロナに感染し、治癒したのちに登校したらいじめられたという報道もありました。

親がテレビニュースを見ながら、差別的なことを口にしたり、根拠もなく不安を煽り立てるような発言をしたりしていなければ、学校でそんな状況にならなかったのではないかと考えてしまうのは私だけでしょうか。

以前、東日本大震災後に、県外に移住した子どもが、「放射能がうつる」といじめられたというニュースも見ました。
それも根っこは同じように、家庭での会話が元になっているようにしか私には思えません。

郡家西小学校で講演する石川

私が消防士時代に出動した「自損行為」の救急現場で、忘れられないことがありました。

すでに亡くなった男性にしがみつきながらお母さんが泣いていました。
心の病気で家に引きこもっていた男性に、親戚の人が言葉をかけたそうです。
「お前はいつまで家でゴロゴロしているつもりなんだ! お前がしっかりと働いて家族を養わなきゃいかんだろが!」
そう叱責された後に、自ら死を選んでしまったそうです。

そんなふうに、不用意な言葉はたったひと言でも、人を死に追いやることがあります。
それが思い込みや無知識から出た言葉や、心無い差別から出た言葉であることもあります。

食卓で家族と過ごす時間に、どんな会話を交わすのかということはとても大切です。

そんなことを中心に話を進めました。

今年、2023年4月に「八頭町P連会報」に当日の講演のことを掲載していただきました。 その中に「参加、視聴された会員の感想」がありましたので、紹介させていただきます。

「八頭町P連会報」の写真

石川さんのお話は、「命」について考える機会となりました。 これまで自分は、「命の尊さ」「命の大切さ」についてあまり考えていなかったことに気づかせてもらいました。

方言交じりのお話と歌で、あっという間に時間が過ぎていました。 笑いがいっぱいの楽しい歌でスタートしましたが、後半は我が子が生まれてきてくれたことに感謝しながらお話を聞きました。

子供が何歳になろうと親子で思いを伝え合う・・・いつまで続けられるか分かりませんがやってみます。「子育ては親育ち」ですね。

参加、視聴していただいた皆様、ありがとうございました。

人権講座の開始前の中学校体育館

子どもの反抗期は必ずやってくる

「今、こんなにかわいい子が何年かしたら『うるせぇなぁ、クソババア』なんていうようになったらどうします?」

私がそういうと、悲しそうな表情になる人、苦笑いをする人、さまざまな反応がありました。

「そこまでひどいことを言うかどうかは分かりませんが、反抗期は必ずやってきます

大きなため息をつくお母さんがいました。

「でも、安心してください。心配したり、不安になったり、悩むこともこれから多くなるかもしれませんが、子どもたちもたいへんなんです。成長して自立するために、愛してくれて大事にしてくれた親に反抗しなきゃいけないんですから」

5年ぶりに兵庫県新温泉町の温泉小学校に行きました。

授業参観後に、保護者の方が対象の人権子育て講演会でした。

悩みに悩み、大いに心配し、試行錯誤した我が家の子育てについて、何箇所も穴があいた我が家の壁の画像も見ていただきながらお話しました。

私は、保育園から高校までの保護者の方にお話する機会が多いのですが、子どもさんが高校生になると、保育園や小学校の保護者さんの反応とは、違ってきます。

「うちの子、口をきかなくなって、話しかけても無視するんです」

「部屋に入ろうとすると、すごく怒って私のこと怒鳴るんです」

「あんなにお母さん、お母さんってくっついてきた子が、怖い顔してにらむんですよ」

こんなに愛情を注いでいるのに、どうして冷たい態度を取るのか、親は自分の反抗期のことは忘れてしまって、心配したり、さびしくなったりします。

私もそうでした。
何かあったらすぐに相談してきた息子たちでしたが、中学生の2年生くらいからだんだん口数が減ってきました。
こちらが問いかけたことには答えるんですが、自分から話しかけてこなくなりました。

講演が始まる前の兵庫県新温泉町の温泉小学校体育館

子どもの反抗期は、自立して生きていくために必要なものだといいます。

私自身、とても激しい反抗期を送りましたが、早く大人になりたい、大人として扱ってもらいたいという欲求がとても強かったのは覚えています。
それなのに一人で生きていく自信がなく、その矛盾を腹立たしく感じていました。

その後、聞いた言葉に、
親子の愛情が深ければ深いほど、子どもは強い絆を断ち切って自立するために、反抗が強くなるのだそうです。
つまり、子どもの反抗が強いほど、お互いの絆が強かった証になるわけです。

そう考えると、気持ちがとても楽になりました。

子どもがイライラして口答えするのを見ながら、これも親の愛をちゃんと感じていたからこそなんだなぁ、と思うと心に余裕ができました。

成人し、社会人になった息子たちと当時のことを話すと、
「なんで壁に穴をあけるほどムカついてたのか、まったく覚えてないけど、ムシャクシャしてたんだろうなぁ。お父さんやお母さんの気持はよくわかってたんだけど」
と言っていました。

私自身も、反抗期の頃のことを思い出すと、よくわかりました。
親に文句をいいながらも、気持ちの中では申し訳ないという気持ちもちゃんとありました。

そんな親と子どもの成長期を過ぎると、ふたたびなんでも話し合えるようになります。
抜けるまでは出口のないトンネルの中にいるような気持ちになりますが、抜けてみると、子育てという大事業を成し遂げた達成感と、子どもたちとの親密感で幸せな気持ちになります。

校長先生は、
「申し訳ないんですが、授業参観のあとの講演なので、なかなか残る保護者は少ないんです」
とすまなさそうにおっしゃいましたが、たくさんの方が残って聞いたくださいました。

後半は、大半の方が涙を拭いながら聞いておられました。

終わったあとも、何人かのお母さんと子育て話は続きました。

今回の講演で私をご指名いただいたのは、保護者の役員さんでした。
5年前の講演を聞かれた方がいて「あのときの講師の話を聞かせたい」と提案していただき、即決したそうです。

役員の皆さん、ありがとうございました。
そして先生方、参加された保護者さん、ありがとうございました。

今度は、お子さんが反抗期の頃に呼んでいただきましたら、子どもが反抗期のときに作った歌を歌いたいと思います。

項 目内 容
講演会タイトル新温泉町立温泉小学校PTA人権講演会
日 時2021/10/29(金)14:30~16:00
演 題「命を大切にする子育て」
場 所兵庫県美方郡新温泉町 新温泉町立温泉小学校
眠る赤ちゃん

子育てに疲れたときには思い出そう

子育てはとてもやり甲斐があって、とても大事で、とても楽しいものですね。

その一方で、共働きのご夫婦も多いし、シングルで一生懸命育てていらっしゃる家庭も少なくないので、毎日忙しくしながら、子どもへの愛情も責任もあるので、とても疲れているお父さんお母さんも多いと思います。

保護者会主催の講演会に参加された方からよく聞くのが、
「仕事で疲れて帰ると、子どもたちが兄弟喧嘩するので、もうイライラしてつい怒っちゃって、あとで落ち込むんです」とか、
「子どもにちゃんとしてあげていないんじゃないかって、毎日不安で苦しいです」という言葉です。

そんなふうに子育てに疲れたときに、思い出していただきたいことを今日はお話したいと思います。

私自身、これからお話することを、思い出すことで、子育てが楽になって、子どもへの愛情が一層深まりました。
この記事を読んで、気持ちの切り替えができて、少しでも気持ちが楽になっていただければ嬉しいです。

楽しいばかりじゃない子育て

頭を抱える女性

どこの家庭だって、子育ては楽しいばっかりじゃないですよね。

親としての接し方がこれで正しいのか、とか
時間がなくてイライラして毎日がつらいと感じる時期もあるかもしれません。

私の子育て時代も、子どもの成長とともにいろんな心配ごとや悩みがありました。
仕事や人間関係の悩みに加えて、子育ての悩みが重なっていっぱいいっぱいになることだってありました。

子どもはこんなに可愛いのに、苦しいなぁと感じる瞬間もあります。
そんな疲れているときは、誰でも大事なことを忘れてしまいがちになります。

そんなときに思い出していただきたい2つの大切なことがあります。

・子育てで心がけていることを自分にはやっていない
・子どもと暮らす日々は宝物の時間

この2つです。

子育てで心がけていることを自分にはやっていない

子供を背負ってやる掃除に疲れた若い母親

親としては、子どもに対して、こんな子に育って欲しいという願いがあります。
人によって、その願いはいろいろと違いがあるかもしれませんが、
優しくて思いやりがあって強い心をもった子に育って欲しい、というのは共通した願いじゃないでしょうか。

そのために、
自尊感情の高い子になるように、他人と比較しない、怒りすぎないようにする、とか
存在そのものを無条件に愛してあげる、とか
減点方式ではなく、加点方式で、いいところを見てあげる、とか
結果ではなく、その過程、努力を認めあげる、とか
しっかりと話しを聞いてあげる、とか
いろいろと心がけていることがあると思います。

ところが、忙し過ぎたり、親自身が人間関係で悩んでいたりすると、それがなかなか思い通りにできなかったりしますが、
思い出して欲しいのは、そんなふうに疲れ切って、
「あー、今日もイライラして子どもを叱り過ぎてしまった。なんて私はだめな親なんだ」
と自分を責めているとき、子育てでは気をつけようとしていることが、自分にはできていないことが多いということです。

たとえば、自分の子どもとよその子どもとを比較しないように心がけている、という人でも、
「あー、よそのママはちゃんと上手に子育てしているのに、私はなんてだめなママなの」
などと自分と他人を比較して、自分自身を責めていることがあります。

でも、考えてみてください。
誰もが「親」として生まれて来てはいません。
子どもが生まれて、初めて親として子どもに接するわけですから、誰もが満点の子育てなんてできるわけありません。

不安を感じながら、迷いながら育てていくのが親だとも言えます。
なので、減点方式ではなく、加点方式で自分を見てあげてください。
「満点じゃないけど、忙しい日々の中で、自分は頑張っている」
と認めてあげてください。

子どもを「感謝できる子に育てたい」と思うように、自分自身にも「ありがとう」を言ってあげてください。

自分の子どもが、たとえばクラスで一番の成績を取らなくても、何かの競技で1位にならなくても、頑張る姿には感動するじゃないですか。
ときには何もかも投げ出したくなるくらい、毎日がんばっている自分自身も十分に認めてあげてください。

子どもの話はしっかり聞いてあげることが、子どもの心を豊かにすると言います。
親も、夫婦相互に相手の話をしっかり聞くことで、心を少しずつ楽にしていきましょう。
そして、自分自身の心の声をしっかり聞くことで、無理をし過ぎないようにしましょう。

親が悲しい顔や、イライラした顔をしていると、子どもに伝わります。
親が明るいと、子どもの心も明るくなります。

そのためにも、子どもにしてあげたいと思っていることを、自分にもしてあげてください。

子どもと暮らす日々は宝物の時間

笑い合う幼い子供

子育てが終わった人の多くは、後悔しています。
それは、「もっと子どもと一緒の時間を過ごせばよかった」ということです。

子育て時代は、仕事が忙しくていっぱいいっぱいで余裕がなかったけど、子育てが終わり、子どもたちが巣立っていくと、あっという間だったと感じます。

特に、不安で悩んでいたときには、出口の見えないトンネルの中を長い間さまよっているように感じていたけど、過ぎてみると一瞬に感じるくらい速かった、と感じます。

私も、二人の息子たちが幼い頃の写真を見ると、
この頃の一瞬一瞬が宝物のような時間だったんだなあ
と思います。

毎日毎日一緒にいると、いつの間にかいることが当たり前に感じるようになります。
大騒ぎで兄弟げんかしている姿を見てると、元気なのも当たり前だと思うようになります。
そうなるとついつい一緒にいる時間を大切に過ごさなくなります。

当時私は、消防士でしたから、たくさんの現場に出動する中に、子どもとの一緒に過ごす日々が、大切な時間だということに気づかせてくれる現場に遭遇しました。
そのことを時々思い出しては、子どもたちの存在のありがたさ、元気でいてくれることのありがたさを感じてました。

そのひとつは、
お母さんと幼い兄弟が乗っていた車が事故に遭い、亡くなるという悲しい出来事でした。
ちょうと私の二人の息子たちのように幼い兄弟でした。
30年近く経った今でも、その時の映像は鮮明に脳裏に焼き付いています。
3人の救急隊員が、涙を流しながら搬送しました。
次の日も、次の日も、亡くなった子どもの可愛い姿が蘇っては涙が流れました。
そのたびに、自分の息子たちを抱きしめました。

講演会でそのエピソードを話している動画です.

人が生まれて成長していくことは奇跡

救急出動の種別に「分娩」あります。

家にいるときに急に破水して出産というようなこともあれば、産気づいたので要請がある場合もあります。
私の場合は、搬送中に出産というケースは経験していないんですが、妊娠数ヶ月という段階での出産に出動したことがありました。
初めて見る小さな赤ちゃんで、呼吸をしていませんでした。

一般的な新生児の大きさではなく、手のひらに載る大きさで、触るのが怖くなるほどの小ささでした。
手のひらの上で、人差し指で小さく小刻みに心臓マッサージをしながら搬送しましたが、残念ながら助かりませんでした。

無事に生まれるということはすごいことなんだ、と思いました。
人が生まれて成長していくって、とてもすごい奇跡みたいなものだとも思いました。

私の子どもたちも、奇跡的に妻のお腹に宿ってくれて、無事に生まれて、おっぱいを求めて必死に泣きながら生きてくれたんだと思いました。
そのことを思い出すと、子どもたちがおもちゃを放り投げては大騒ぎしている姿も、とても大切な時間に思えました。

子育てに疲れたときには、子どもたちが生まれてきたときのことを思い出しました。
思春期になると、どう関わっていけばいいんだろうか、と悩んだときにも、可愛い盛りに事故で亡くなった子や、せっかく母親のお腹に宿ったのに亡くなってしまった子のことを思い出しました。

騒々しく兄弟喧嘩をする子どもたちを見ながら、こんなふうに悩ませてくれるまでに成長してくれたんだ、と思いました。

講演で遊ぶ幼い兄弟

もし、あなたが今、子育てに悩み、疲れ果てていたら、自分のがんばりを認めて褒めてあげてください。
それでも、子どもとずっと一緒にいると、苦しくなることもあります。

そんなときには、子どもと遊んでくれる親や兄弟・姉妹がいるなら、その人に任せて一人の時間を過ごしてみてください。
子どもと離れる時間を作ることで、子どもがよけいに可愛く感じられるようになると思います。

いろいろと骨の折れることや、途方に暮れることだってあるでしょうが、そんな時でも子どもとの宝物の時間を過ごしてください。

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救急現場が教えてくれた心を元気にする方法(日本保育協会研修会)

2017年11月10日、鳥取県米子市で日本保育協会中国・四国ブロック研修会が開催されました。

中国・四国地区の保育園関係者の研修会で、参加されたのは保育園の理事長さん、園長さん、保育士さんで、幅広い年齢層でした。

2日間の研修会の2日目の午前中10時から90分間を担当しました。演題は「救急現場が教えてくれた心を元気にする方法」

昨今の保育現場はたいへんなことが多いということは、私の妻も保育士なのでよく聞いていいました。私の話を聞いて、心があったかくなっていただきたいという思いで講演を組み立てました。

日本保育協会中国・四国ブロック研修会のステージで歌う石川

保育士さん、また保育園の管理職の方、経営者の方々のストレスを有効に解消していただくために、スタートの自己紹介から笑っていただきました。

いろんな境遇、いろんな状況の保護者と関わるお仕事でもあるので、「心の弱っている人との会話」についてお話しました。

お仕事柄、日頃から「傾聴」については勉強されていることとは思いますが、案外知られていないのがもう一歩進んで相手の気持ちを汲み取るやり方です。さらに、相手を慰め、励ますつもりで言ったつもりが、かえって相手を傷つけることになりがちな言葉があります。

悩んだり、苦しんだりしている人に対して、
「終わったことは忘れなさい」
「あなただけが不安なわけじゃない」
「考え方、感じ方を変えてみなさい」

など、実際に言われて苦しんだ人の体験談を交えてお話しました。

子育て世代の保育士さんもいらっしゃるし、保護者さんのことあるので、子育てについてもお話しました。子育てのベテランでもいらっしゃる方々ですが、私の妻も同様ですが、いくら学んでも悩むのが我が子の子育てです。満点の子育てができていないと、どうしても自分を責めがちになるのが、多くの保護者です。

親としての自分を否定しない。子育てに100%はない。親ががんばる姿は、必ず子どもに伝わっている。

そんなことを実例を交えて、実例写真も見てもらい笑っていただきながらお話しました。

日本保育協会中国・四国ブロック研修会で話す石川

親も子も、心を強くしていくのには、幸福感が感じられる生活を送る必要があります。では、幸福感はどうしたら得られるのかについても、その真逆な正視に耐えない悲惨な現場を通して教えられた体験をお伝えしました。

2日目の研修会で、ラストの90分という長時間でしたが、しっかりと楽しみながら聞いていただけたようで、後日いただいたメールに、

生命の尊さへの思いが伝わってきました。家族を超えた「ありがとう」のメッセージがあったように思いました。面白くて貴重なお話をありがとうございました。泣き笑いと、ほっこり。元気が出ました。「幸せは つかむものではなく 気づくもの」の言葉に焦らずイライラせずに、ゆったりと周りの人に接していきたいと思いました。

そんな嬉しい言葉をいただきました。

項 目内 容
講演会タイトル日本保育協会中国・四国ブロック研修会
日 時2017年11月10日(金)
演 題「救急現場が教えてくれた心を元気にする方法」
場 所鳥取県米子市 米子ワシントンホテルプラザ
主 催日本保育協会中国・四国ブロック
娘を抱き上げる母親

「夢」よりもっと大切なもの(こども園保護者会講演会)

夢」を追いかけることは、やりがいを感じながら目的に向かうことで充実した日々を送ることにつながります。

多くの大人は、子どもたちに「夢を持て」とすすめ、ときには夢を実現した成功者の体験を聞かせたりします。それはとても意味のあることです。

しかし、ほとんどの大人は、夢が破れたときの心理については語りません。 死ぬほど努力してもかなわかった夢自分が毎日毎日苦しい思いをして出した結果より、楽々と上の結果を出す者がいるという現実

そんなときでも「簡単に夢をあきらめるな!」と言う人もいます。

簡単にあきらめたわけではなく、どんなにがんばっても到達できなかった現実に苦しい思いをした人にも、「あきらめなければ必ず夢はかなう」と無責任に言う人もいます。 確かに、あきらめずに夢を叶えた人もいるでしょう。そんなごく少数の成功者の声だけが、本や映像記録として残ります。その陰には、比較にならないくらいの多くの人が挫折を味わっています。それでも必死になってやってきたことには意味はあり、夢なんて描かなかった人の生き方にだって大きな意味はあります。

今の自分を認められることが「自尊感情」ということなのですが、幼少期の環境に大きく影響を受けるので、なかなか簡単にそれができない人も多いようです。まず自分の存在そのものに大きな意味があるのだ、ということを素直に受け入れられない人もいます。

こども園保護者会講演会で歌う石川

9月に鳥取県倉吉市の倉吉愛児園で保護者会主催の講演をやらせていただきました。

親の影響を受けながら成長する幼い時期に、「あなたはそのまま大切な子なのだ」という気持ちをしっかりと伝えることがどんなに大切なことなのかを、子育て世代のお父さんお母さんに伝えました。

いろんな教育論があっても、間違いなく共通して一番大切なことは、「まずは無条件に子ども愛してあげること」

その思いを伝えるために、言葉や行動で愛を伝えて欲しい。そんなことを歌を交えてお伝えしました。

愛に満ちた環境で成長することは、大きな夢を追い求めるための力を蓄えることにつながります。自己肯定感が高まっていれば、夢が破れたとしても、新しい夢を見つけて前進することができます。だから、大切な人々を強く抱きしめ、愛を表現しましょう。

人生においては、失敗や挫折を回避することはできません。しかし、自分が失敗したからといって、自分自身が価値のない存在だと信じる必要はありません。

自分自身を認め、前進するための第一歩として、自分自身を大切にすることが必要です。自分自身を愛することができれば、周りの人々にも愛を与えることができます。

しっかりとハグをして、愛情を伝えてあげましょう。

日本海新聞に掲載された石川達之のコラム

夢破れても生きる力を失わないで(日本海新聞コラム)

数年前から保護者会主催の講演会講師とし招かれることが多くなりました。

ほとんど保護者対象なのですが、先月は、北海道二海郡八雲町の八雲中学校と落部中学校、そして私の母校である湯梨浜町立東郷中学校と、3度も中学生を前に話す機会がありました。

勉強にもスポーツにもまったく関心のなかった中学1年生の私が、ビートルズや武者小路実篤、宮沢賢治との出合いをきっかけに胸をときめかせながら音楽と小説の世界にのめりこんでいった体験を話しました。

当時の体験があったからこそ、人に何かを伝えたいという思いが芽生え、それが今の仕事に結びついています。

そんな私でしたが、中学の時はもちろん、大人になるまで夢はありませんでした。

体育館で私の言葉に耳を傾けていた彼らの多くも、もしかしたらまだ自分の夢を見つけられていないのかもしれません。

書店の棚には、「夢をかなえるための〇」「○○で必ず夢はかなう」などという夕イトルの本がたくさん並んでいます。

しかし実現して座れる席がとても限られているからこその「夢」で、座ることのできない人のほうがはるかに多いのが現実です。

夢破れて挫折したとしても、どの本の著者も責任をとってくれるわけではあません。
逆に、傷ついた心を、「努力が足りない」「あきらめるな」とさらに追いつめるばかりです。

夢があるから偉いわけでも、夢がないから悪いわけでもない。
ただ夢があると、つらいことも耐えられたり、がんばることが楽しくなったりする。

夢が一つじゃなかったり、追いかけているうちに別の夢に変わったりすることもある。

たとえ夢が破れたとしてもそれで終わりじゃない。
一生懸命夢を追いかける過程で、学ぶことはたくさんある。
そんなことを伝えました。

われわれ大人の役割は、子どもたちの夢の応援だけではなく、大きな挫折を経験した時に、生きる力を決して失わない強い心を育てることや、生きる楽しさを伝えることではないかと思います。

東郷中学校では、第二校歌として歌い継でいただいている「梨のうた」を、「作者である先輩と一緒に」ということで、全校生徒と合唱しました。

若く力強い歌声を聴きながら、「君が夢さえ忘れなきゃ、いつかは開く白い花」という歌詞を書いたときの、自分の息子に対する思いを思い出し、胸が熱くなりました。

当時、ペンを握りながら、いろんな情景を思い出していました。
遠く離れて暮らす息子たちを見守ることしかできず、思いをうまく伝えられないもどかしさがよみがえりました。

力強く歌う生徒たちが成長する過程で挫折して迷い悩む日々が来たとしても、いつかは白い花を咲かせてほしい。
どんな形に実るかわからないが、その果実が二十世紀梨のように甘くなることを祈りながら歌いました。

日本海新聞「潮流」の記事画像
日本海新聞に掲載された石川達之のコラム

もっと思いを言葉にして(日本海新聞コラム)

年々、子育て講演会の講師としてご依頼いただくことが多くなりました。

私自身は、とても素行の悪い子どもでした。悪質ないたずらを繰り返したり、授業中に騒いだり、取っ組み合いのケンカをしたりと、そんなことが日常になっていました。

後年学んだ心理学の中に、「承認欲求」という言葉がありました。よく目にする「愛の反対は無関心」という言葉のように、自分に関心を持ってもらえないことほどさみしく悲しいことはありません。

私の両親は、特に母は、私に対してそこま無関心であったわけではないのに、悪さをくり返しては、叱られていました。

学校にいても、家に帰っても、神社の境内で友達と遊びほうけていても、どうにも言葉にならない思いが、幼い私の気持ちをイライラさせていました。

親のしつけに対してもとことん反抗するようになりました。

「黙って食べろ」
「手遊びせずにちゃんと話を聞け」
「早くしなさい」
そんなことを言われるたびに、怒りがムクムクと胸の中で膨らみました。

大人になってからは、親の気持ちも、自分の心理もよく分かるようになりました。
あの時、自分はどう言ってほしかったのか、そんなことを考えながら、私は自分の子どもたちとたくさん話をしました。

食事時間が長くかかっても、話すことを楽しみながら夕食の時間を過ごすようにしました。
「この花、きれいだね」
「仲良しだとうれしいね」
「こんな事件が起こるって悲しいね」

何かにつけて、感じたことを言葉にしました。共感し合うことで、物事を感じられる豊かな心を持ってほしかったのです。

時には、親の私の方が子どもたちに気づかされることもありました。

忙しさでおいしさも感じないまま食事を済ませたのではないか、景色も見る 余裕のないまま車を走らせていたのではないか、大切な存在をいつの間にかそこにいるのが当たり前の風景のように眺めていたのではないか、と。

私たち夫婦は共働きだったので、子どもたちだけで留守番することもよくありました。

「ぼく、さみしかった」
「お父さんも、早く顔が見たくてさみしかったよ」
そんなふうに思いを言葉にして伝えてきました。

もっともっと親は子どもに、自分の感情や思いを言葉で伝えてほしいと思います。
そんな当たり前と言えば当たり前のことを、歌とね」「ご飯がおいしい一緒に講演会で伝えています。

日本海新聞「潮流」の記事画像
日本海新聞に掲載された石川達之のコラム

親の成長期(日本海新聞コラム)

子供を持つ親ならば、子育てに悩むのは当たり前で、当たり前だと分かっていながら、悩みます。

どの道が正解なのか分からない場面が多々あるからです。正解というものがもしあると仮定すればの話ですが。

まれに、今思えばあの時、ちゃんと意思を伝えられて、子供も理解してくれた、と我ながら感心することもあります。
それとて、その時点では懊悩煩悶し、やっと出した答えであったりします。親の考え方、子供の個性、環境もそれぞれで、100パーセント正解なんて、誰にも分かりません。

私の妻も、子供が高校生の頃、短気を起こして壁をぶん殴り、穴を開けるたびに、「小さい時に私がイライラして、よく怒ったせいじゃないかしら。私の育て方が間違っていたかも」と不安げにこぼしていました。

そのたびに私は言いました。「『間違い』なんてない。初めての子育てで、一生懸命やったじゃないか。それに間違えたというほど悪い子に育っていない。優しいし、成績だって僕の子供の頃に比べたら神童みたいなもんだぞ」と。

安息の地である母親の胎内からこの世に生まれ出ること自体が、胎児にとってはストレスだと言います。ストレスひとつなく育つ子供なんていない、というこの事実は、実は素晴らしいことではないか、と子供が成人してからは思えるようになりました。

学校に行くのも、部活をやるのも、初恋の相手に告白するのも、結婚するのも、ある意味すべてがストレスなのかもしれません。

人間はストレスがないと生きていけないのも、また周知の事実です。

親が子供のことを思って一生懸命考えた答は、「正解」ではないけど「間違い」ではないのではないでしょうか。

もし、抜け落ちたところがあったとしても、やがて子供本人が克服していくことで大人へと成長する糧にしてくれるのではないでしょうか。

社会人になった息子が帰省して、壁のブラックホールを覆うポスターを見て「お父さん、よく耐えたよなぁ」と苦笑しました。

当時親として悩んでいた事柄を肴に親子で飲みながら語ることは、今の私の最高の幸せの一つです。

悩み多き思春期を過ごす子供達は、それが「反抗期」だなんて気づくこともなく、モヤモヤしたりイライラしながら、ただ「今」を過ごしています。

親にしても、よく「子育てで親が学ぶ」という言葉も聞きますが、子育て最中にはそんな悠長なことを言う余裕はありません。

子供と奮闘する親は、実はそれが親の成長期であったとは、トンネルを抜け出さねば気づかないことなのかもしれません。

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日本海新聞に掲載された石川達之のコラム

生きていることの輝き(日本海新聞コラム)

長かった消防生活の中で数多くの事故・災害現場に出動し、活動しました。

大量に出血した人や、臓器が露出した人など、たくさんのケガ人を応急処置して搬送しました。精神的にぐったりと疲弊するケースもありました。

十年二十年たった今でも忘れられずに、時折その光景がよみがえる現場もあります。

中でも幼い子供が大ケガをしたり、亡くなっていた場合などは鮮明に覚えています。

ずいぶん前のことですが、正面衝突して大破した車両の中に小さな子供がいて、すでに心肺停止状態でした。
その男の子の姿を目にした瞬間から、まるで自分の胸をギリギリと絞られるような息苦しい感覚にとらわれました。

私の二人の息子達の間くらいの年齢のようでした。
息子達がよく着ていたようなアップリケのついた可愛いオーバーオールを着ていました。

車両の中からストレッチャーに移す時、私の目尻から涙が流れました。こんな時こそ冷静にならねば、と思い袖でぬぐいながら活動しました。

負傷部位を見ても、衝突時には即死状態であったことは明らかでした。病院収容した後の帰署途上、三人の救急隊員全員が無言でした。時折、洟をすすりあげる音が車内に響くばかりでした。

帰署するとすぐに救急車内の清掃・消毒を行います。その時も、ストレッチャーを車外に出して床の血液を拭き、消毒していました。

すると、床の隅に転がっている小さなゴミに気づきました。
拾い上げてよく見ると、それは「ガチャガチャ」と呼ばれるカプセル自販機で売られているオモチャでした。

小さなガンダムの消しゴムで、私の息子達も同じような消しゴムをたくさん集めていました。そんなことを思い出すと、また涙が流れて止まらなくなり、今すぐにでも子供の顔が見たいという気持ちになりました。

翌日、保育園から帰って来た子供達をぎゅっと抱きしめました。
「お帰り、お帰り」と何度もくり返しながら抱きすくめると、涙が流れました。

子供達は怪訝な顔をしてそんな私を見ていました。その時、こんなふうにぎゅっと抱きしめることができて、抱きしめるとあったかい体があって、呼吸のたびに腕の中で動き、呼べば返事をしてくれる、そのことだけでこんなに幸せなのだ、と痛切に思いました。

そこには「良い子」も「悪い子」もなく、命が存在してくれていることこそが何ものにも代え難い尊いものだということを、理屈ではなく、心の底から湧き起こるように自然に感じられました。

その後、子供達が成長し、反抗期を迎え、子育てに何度も迷うたびに、あの時の思いへ立ち返りました。
思えばそれが私の子育ての原点だったように思います。

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